放浪記の宿題を終えて

3月29日(日)

日本に帰ってきて2週間が過ぎ、以前の落ち着いた暮らしが始まった。



まずは歯科大へ。女先生から歯の治療をしてもらい、痛みがおさまった。

スポーツジムとテニススクールは、インド旅行中は休会にしてもらっていたので、復帰した。

毎日のジム通いとお風呂、週一のテニスレッスンを再開した。

昨年の先生・コーデイーが教えているNHK英語教室の申し込みもした。

ラジオ英会話を聴いたり、漢字検定の練習も再開した。

これで以前と同じ生活になった。




インドでお世話になったトクトクドライバーのマニ君、日本語を話すビールと映画好きなラグー、

動物園へ連れて行ってもらったグノー君へ写真を送った。

みんなどうしてるかな?

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チェンナイのアポロ病院で行ったヒジの手術代金を保険会社へ請求した。

アポロ病院の領収書、それにブログにもアップした4,5枚の写真も添付した。

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インドから持ち帰った宿題はすべて終わった。


今は一日一日がゆっくりと流れ、食事も宿の心配をしなくともよい。

コンビニへ行けばビールもウイスキーもトイレットペーパーもある。

トイレの心配もいらない。

歩道にはゴミがなく、物乞いもいない、立小便する人も見かけない。

道路では自動車が車線に沿って整然と走り、クラクションの音は全然聞こえない。


落ち着いてはいるが、何か物足りない。

あの喧噪や刺激や緊張感が懐かしい、もうインドが恋しくなっている自分がいた。





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あばよ、インド! とめるんじゃねえぜ

3月14日(土) チェンナイ

朝7時、マニ君がやってきた。

空港近くにトクトクを駐車して歩く。トクトクは空港敷地内には入れない。



「マニ君はガールフレンドいるの?」 「いない」

結婚どうするつもりと聞くと、お母さんが見つけてくれた人と結婚するという。



わははのおばさんとの会話を思い出した。

「あんたはハウスマリッジかい、それともローマリッジかい?」

ローマリッジ?法律結婚?スペルは?

「Love Marriage だよ」

なんだ恋愛結婚か。するとハウスマリッジは家同志が決めた結婚ということになる。


マニ君はハウスマリッジにするつもりらしい。

「インドの結婚式は盛大らしいね?」 「何百人も招待するよ」

「僕が結婚式を挙げる時、日本から来てくれますか?」

いやいや、それは考えさせてもらおう。


空港内にはIDと航空チケットを所持していないと入れない。

最後にインドで買った時計と携帯電話をプレゼントし、記念写真を撮って別れた。


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チェンナイの国内線ロビー。

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9時50分発のデリー行きに乗る。

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飛行機から見たチェンナイ市内。

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午後1時半、デリー空港に着く。

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8時間の待ち合わせ時間。午後9時55分にデリー国際空港を飛び立った。

あばよ、インド。サヨナラ、海と大地。 さらばじゃ、インドの友よ、わははのおばさんよ。

誰もRay次郎をとめるんじゃねえぜ。

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3月15日(日)朝8時30分に成田空港に着いた。

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まずは朝食、うどんが美味い。

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成田から大宮まで高速バス、大宮から高崎線で鴻巣まで乗り継いだ。

鴻巣駅で藤崎が待っていてくれた。藤崎の軽自動車に乗って水上温泉へ。

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温泉につかりインドでため込んだ垢を落とし、キレがいつまでも衰えないビールを飲んだ。

日本の料理を日本酒を飲みながらいただき、気のおけない友人と日本語でだべった。

いやああ、、、いいもんだ、日本。




94歳の親切な僧侶、あんたもかいな

3月13日(金) カンチープラム

「興味深い彫刻」がある8世紀に造られた寺院。

土色でもなく彩色ギンギラでもない真っ白なゴープラム。

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門を抜けるとすぐお堂。

階段を上がったお堂の入口で入館料30Rs、カメラ持ち込み料50Rsを払う。

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料金係りの隣にいたおじいちゃんが

「カムカム、ノーマネー、カムカム」と手招き。

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「私はここの寺院の僧侶です」 歳を聞いたら94歳になるという。

ボッタクリはないだろうと付いていく。

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お堂の中の石柱に施された彫刻の説明から。

背伸びしてキスする女性、「この背伸びが良い」とは94歳の弁。

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6人の女性のからみ。

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このへんのポーズは分かりやすい。

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神に召された女性。

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まさにこの髪型をした女性をテルバンナマライで見た。

ラグーのオートバイに乗っているとき、

「あの女性を見て!!あれは神に召された女性だよ」

ある時突然に髪が伸びはじめ、2週間ほどでこんな髪型になるという。

この髪型になった女性は神に仕えることしかしてはいけない。

ひたすら神に仕え、お祈りする。


結婚していれば、旦那さんのめんどうはもちろん、家事もしない。

旦那とHなんかとんでもない。旦那さんもそれで満足するという。

グノーと見た女性と同じ髪型をした女性とは、それ以降お目にかかっていなかったが、

最後になって姿を現すとは、、、。




お堂の階段を下りて、建物の基礎部になっている壁の彫刻を見る。

この時さすが94歳、足が弱っていて、Ray次郎の手を借りなければ下りられなかった。

でもここからおじいちゃんの精力的な解説が始まる。

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「女性が男性の物をくわえている」

えっ、いきなり、そこから!?


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これは「スタンデイング ジョイント」

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「シーテイング ジョイント」

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「右と左に男性、真ん中に横になった女性がいる」

アダルトビデオみたいになってきた。

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これは出産シーン、指の先に赤ちゃんが顔を出している。

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左右に女性をはべらせ、後ろ向きの女性とジョイント。

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ごくごく真面目に彫刻のシーンを解説してくれた94歳の僧侶。

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これまで額に横線で3本、赤白の粉を入れているのを見てきたが、こちらは縦線。

聞いたら宗派の違いらしい。

「顔の写真を撮りなさい」と自らモデルに。

そして最後に「マネー!」

ノーマネーじゃなかったの? さっきのガイドと同じ300Rsを渡そうとしたら、

「500Rs!!」

地蔵と僧侶には敵わない。あげました500Rs。

でも寺院の外で待っていたマニ君には

「中で親切なお坊さんにガイドしてもらった。ただだったよ」と言った。


ガイドと僧侶はグルカイナ?

3月13日(金) チェンナイ

明日はチェンナイから帰国の途につく。今日はインド最後の観光。

朝8時、マニ君のトクトクに乗って出発した。

「80キロ先にある大きな村へ行きましょう。寺院とかいっぱいあるし」

行先の地名は分からないが、2時間かけて道路を走る。

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チェンナイ郊外には工業団地が広がっていた。

サムソン、ノキア、光洋ステアリングなどの工場が見えた。

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大きな村に着いたようだが、駅の名前を見て気が付いた。

カンチープラム??「マニ君、ここは前に来たことがあるよ」

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東々先生たちとタクシーで一緒に来た町ではないか。

あの時は夕方ホテルについて、翌日1か所だけ寺院を見学、

町中の市場と展示会を覗いた町だ。

最初に向かったのは、その行ったことのあるシヴァ寺院。

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60メートルの巨大なゴープラムと樹齢3,500年たつといわれるマンゴーの木で有名だ。

この木の下でシヴァとカーマクシ女神が結婚をしたという神聖な場所。

ガイドブックに

「寺院内にガイドを自称する人がいるが、料金が高いので値段交渉が必要」とある。

寺院の外でサンダルを脱いでいたら、早速つかまりました、自称ガイド。

値段を聞いたら500Rs、それは高い。交渉して300Rsにしてもらい中に入る。

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寺院内の回廊、ここは前にも写真に撮ってある。

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回廊の中にある祠では写真を撮ることはできなかった。

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今回ガイドと一緒に入ったら、写真OK。

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四方鏡に囲まれていたが、鏡を開けると結婚式に参加した神々が祀られていた。

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結婚したシヴァとカーマクシ女神の像も写真OK。

ガイドにうながされて自分の写真も撮らされる。

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この後僧侶から「Donation!(寄付)」と言われ、10Rs紙幣を置いた。

「No,No 500Rs!」 、、、えっ500Rs? これまでは10Rsでも十分だった。

また寺院内には寄付するためのポストが置かれてあるというのに。

ガイドと僧侶がグルになって、外人客相手に小遣い稼ぎか??

結局500Rsを渡した。



寺院から出て、マニ君に「寺院のなかで800Rsも取られたよ」と報告すると、

「警察へいきましょう。寺院のなかではそんなにお金を取られるのはおかしいですよ」

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まあまあ、いいじゃないか。お金は巡り巡ってインドの人たちに回るのだから。



マニ君、別なヒンディー教寺院へ連れていく。

レンガを積んでいるのは、赤ちゃんを授けてもらうため。

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鍵をくくってあるのは、家の建設がうまくいくようにお願いするため。

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木にハンカチや象を乗せた台は、やはり子宝のお願いやそのお礼。

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マニ君のガイドの方が庶民的で分かりやすい。

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寺院で飼われている象2匹。

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こちらの象は寄付の受付係。

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10Rs紙幣を寄付して、鼻でなでなでしてもらった。

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次に向かったのは8世紀頃に造られたトラヴィタ様式の寺院。

もこみち村で見た世界遺産の海岸寺院を原型にしたとされる。


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建立した当時の王のシンボルはライオン。無数のライオンが回廊に浮彫りされている。

シンボルのシンボルがこれ。オスライオンだよなあ。

オス、オス、オス、オス、、、、、、、、。


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えっ、メス??

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違います。よく見てください。

宦官志望のオスライオンでした。


ライオンにサヨナラし、同じく8世紀のトラヴィタ様式の寺院へ。

「寺院内部の壁面いっぱいに刻まれた彫刻はヒンドゥー教の神話だけでなく、

当時の人々の暮らしをしのばせるものがあり興味深い」とガイドブックにある。

興味深い彫刻がはたして見られたかどうか、次回に記事にゆずります。


保、新矢そして尾崎の事

3月13日(金) チェンナイにて

あらかじめお断りしておきます。

この記事にはすべて実名が出ますので、名前が出た方、あらかじめご容赦を。


串田保とは亀田中学校の1年次に同級生になった。

やんちゃ坊主で、笑わせ上手だった。キツネのような目をした細身の少年。

Ray次郎は今でこそ借りてきた猫のようにおとなしいが、

保と同じく、やんちゃで気が合った。

毎朝、通学時にRay次郎がまず実の家へ行く。

実の家は左官屋、自宅のわきに作業小屋と道具置き場があった。

彼は三男坊で歳の離れた兄貴は左官屋を継いでいた。

二人で保の家へ行き、三人そろって高下駄を鳴らしながら中学校へ行った。

保の両親はふたりで衣服の行商人をしていた。

保とは悪い事も一緒になってやった。町の映画館の裏口の鉄条網をくぐって忍び込み、

石原裕次郎や小林旭の映画をただで観させてもらった。

北山の裏手にある畑で西瓜をくすねた。


彼は新潟市内の商業高校へ入り、Ray次郎は進学校の新潟高校に入ったので、

高校時代は付き合いが遠ざかっていた。

保は高校卒業後、新潟市内の呉服屋「嶋屋」に勤めた。

Ray次郎が大学1年の夏に帰省した時、家に保がひょっこり顔を出して

「ドライブに行こう」と誘ってきた。もう夜もかなり更けていた時間だったと思う。

彼は月賦で買った中古のサニーにRay次郎を乗せて、国道49号線に向かった。

阿賀野川とほぼ平行して走る会津若松への道路。川の蛇行に合わせて道も蛇行している。

その道を猛スピードで走る。道路の照明も暗く、ガードにぶつかれば、すぐ川に落ちる。

今思えばかなり危険な運転だった。


彼は30代で独立し、自宅に「串田呉服店」の看板を掲げた。

そして40代で癌で亡くなった。早すぎる死だった。






山田新矢とは高校時代にラグビー部で一緒だった。

身長は155センチくらい、小太りして丸顔、人懐っこい笑顔をみせる高校生。

ラグビー部の同期のなかでもけっこう足が速く、ハーフのポジションについた。

スクラムへボールを入れ、うしろで受けるとバックスへ送球する攻撃の起点のポジション。

Ray次郎はそのハーフから最初にボールを受けるスタンドオフ。

ラグビー用語ではハーフ団と呼ばれる。

新矢は上の学年がいなくなってキャプテンになった。Ray次郎は副キャプテン。

練習でも試合でも檄を飛ばして怖い顔をするが、

普段は冗談好きで、いつも笑顔が絶えなかった。だからキャプテンに選ばれたのだろう。


新矢は大学卒業後、家業の塗料店に入り、50代で社長になっていた。

10年ほど前、新矢の呼びかけで久しぶりに同期のラグビー部の連中で飲んだ。

新矢はいつもの笑顔で人をなごませ、終始ご機嫌だった。みんなで多いに盛り上がった。

翌年の年賀状に喉頭がんの手術をして、今は順調に回復していると書いてあった。

あの集まりは手術前に新矢がやっておきたいとことだったんだと、納得した。



それから2年くらいして電話があり、今度は声帯を取り除く手術をすると連絡があった。

次に会った時には喉に穴が開いていて、筆談で話をした。

近所のおばちゃん連中を引き連れて山菜採りをしたとか、

商売が苦しくて倉庫を手放したとか、そんな話をした覚えがある。

筆談で話をしたのは声帯切除の手術後の半年間で3~4回。

そして新矢は60を目前にして亡くなった。

いい奴だった。今でもあの人懐っこい笑顔が目に浮かぶ。






尾崎邦明

彼とは新潟高校の3学年で初めて同級生になった。

色白い顔をして、運動音痴。ときどき皮肉なジョークを言うくらいで、

話上手なわけでもなく、会話の中心にいることはなかった。

Ray次郎はラグビー部、尾崎は生物部か何かの帰宅部だった。

だから彼とは高校時代の接点は少ない。


安田講堂事件で東大の入試試験が取りやめになった年に、

尾崎は早稲田の文学部に現役入学した。Ray次郎はすべて落ち、あえなく浪人。

Ray次郎が翌年、早稲田の商学部に入学すると、1年後輩ではあるが尾崎とは御学友になった。

Ray次郎が大学3年、尾崎が4年になった春に、いきさつは忘れたが、

尾崎がRay次郎のアパートに引っ越してきた。

都電の面影橋から徒歩10分、大学へは歩いて行ける。4畳半で流しは付いているが、風呂なし、

廊下に共同便所があるアパートだった。2階の4部屋のうち一つ部屋を挟んで2年間一緒に住んだ。

引っ越す前からだったとは思うが、性格は違うが、けっこう気があって仲は良かった。

尾崎がRay次郎の部屋に来る時は麻雀のメンツが足りない時、

Ray次郎が尾崎の部屋へ行く時は金を借りにいくか、

挽きたてのコーヒーを飲ませてもらう時。



Ray次郎は大学4年で卒業してアパートを出た。尾崎は留年したが、やはりアパートを出た。

高校時代の友達・藤崎が鴻巣に一戸建て住宅を購入して住んでいた。

そこへ尾崎は転がり込んだ。

尾崎の後釜でアパートに入ったのはラグビー部・後輩の田宮。

田宮は早稲田の理工学部、のちに新潟県庁で土木部長になった男だ。


藤崎は同じ高校3年次の同級生。頭が良くて一ツ橋を受験したが、

東大のあおりを受けて不合格。上智大学の文学部・露西亜語学科に入学した。

和楽部に入部し琴を奏でていたが、ロシア語よりそっちに目覚め、芸大に入りなおした。

尾崎が転がり込んだ時、藤崎はおそらく芸大生だったと思うが、

彼が鴻巣に自宅を構えていた謎も含め、今は覚えていない。


とにかく尾崎は大学7年か8年で卒業するまで、鴻巣で藤崎と一緒に暮らしていた。

彼は就職先にNHKを希望していたが叶わず、鴻巣から地元新潟に戻った。

そして親類が経営している会計事務所に勤めた。


Ray次郎の姥ケ山の自宅に1回だけ遊びに来たことがある。

ワインをぶら下げてきて、ペロッと飲んで帰った。

毎年の年賀状の代わりに、年末に手紙が届く。文学部卒だけあって文章は上手いが

少しくどいところもあって正直、感心できなかった。


ど近眼なくせにメガネをかけず、おそらく10m先は霞状態だったと思う。

社会人になってからは酒の量が増えたのだろう、

町中で50代の尾崎の姿を目にした時、かなり太っていた。

猫背で脇目もふらずに、せかせかと歩ていた。



尾崎は60を過ぎてすぐ亡くなった。両親はすでになく、独身の彼は一人暮らし。

友達のだれに通知されることもなく葬儀が執り行われた。

尾崎の数少ない友達の一人がたまたま地元紙で「おくやみ」欄を読んで、

尾崎邦明の名前を見つけた。

後から聞いた話では肝臓が弱っていて、それが原因だったようだ。

誰にみとられたわけでなく、自宅の部屋で孤独死であった。



尾崎の初盆の前にRay次郎は尾崎の友人たちに手紙を書いた。

「尾崎の供養をしないと、喉仏に小魚の骨がささったままで、落ち着きません。

、、、、8月某日、西区▲▲▲寺にお集まりください。

その後古町の割烹△△△で1周忌の法事を行いますので、

そちらの参加のみでもオーケーです。、、、、」

こんな内容だったと記憶している。


集まりには悟、栗、野上、見田、有司、稲田、関根、種田など地元の同級生組と、

鴻巣から藤崎も駆けつけてくれた。



記憶だけで書いているので彼らのことはいくつか間違えていると思う。

しかし彼らの顔は今でもはっきりと思い出すことができる。



プロフィール

Ray次郎

Author:Ray次郎
越後生まれのRay次郎。
リタイヤを機に
あれこれと始めた
後半人生の旅の記録

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