スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

放浪記の宿題を終えて

3月29日(日)

日本に帰ってきて2週間が過ぎ、以前の落ち着いた暮らしが始まった。



まずは歯科大へ。女先生から歯の治療をしてもらい、痛みがおさまった。

スポーツジムとテニススクールは、インド旅行中は休会にしてもらっていたので、復帰した。

毎日のジム通いとお風呂、週一のテニスレッスンを再開した。

昨年の先生・コーデイーが教えているNHK英語教室の申し込みもした。

ラジオ英会話を聴いたり、漢字検定の練習も再開した。

これで以前と同じ生活になった。




インドでお世話になったトクトクドライバーのマニ君、日本語を話すビールと映画好きなラグー、

動物園へ連れて行ってもらったグノー君へ写真を送った。

みんなどうしてるかな?

DSC03743.jpg



チェンナイのアポロ病院で行ったヒジの手術代金を保険会社へ請求した。

アポロ病院の領収書、それにブログにもアップした4,5枚の写真も添付した。

DSC03789.jpg


インドから持ち帰った宿題はすべて終わった。


今は一日一日がゆっくりと流れ、食事も宿の心配をしなくともよい。

コンビニへ行けばビールもウイスキーもトイレットペーパーもある。

トイレの心配もいらない。

歩道にはゴミがなく、物乞いもいない、立小便する人も見かけない。

道路では自動車が車線に沿って整然と走り、クラクションの音は全然聞こえない。


落ち着いてはいるが、何か物足りない。

あの喧噪や刺激や緊張感が懐かしい、もうインドが恋しくなっている自分がいた。





スポンサーサイト

あばよ、インド! とめるんじゃねえぜ

3月14日(土) チェンナイ

朝7時、マニ君がやってきた。

空港近くにトクトクを駐車して歩く。トクトクは空港敷地内には入れない。



「マニ君はガールフレンドいるの?」 「いない」

結婚どうするつもりと聞くと、お母さんが見つけてくれた人と結婚するという。



わははのおばさんとの会話を思い出した。

「あんたはハウスマリッジかい、それともローマリッジかい?」

ローマリッジ?法律結婚?スペルは?

「Love Marriage だよ」

なんだ恋愛結婚か。するとハウスマリッジは家同志が決めた結婚ということになる。


マニ君はハウスマリッジにするつもりらしい。

「インドの結婚式は盛大らしいね?」 「何百人も招待するよ」

「僕が結婚式を挙げる時、日本から来てくれますか?」

いやいや、それは考えさせてもらおう。


空港内にはIDと航空チケットを所持していないと入れない。

最後にインドで買った時計と携帯電話をプレゼントし、記念写真を撮って別れた。


DSC03706.jpg


チェンナイの国内線ロビー。

DSC03708.jpg


9時50分発のデリー行きに乗る。

DSC03709.jpg

飛行機から見たチェンナイ市内。

DSC03714.jpg


午後1時半、デリー空港に着く。

DSC03723.jpg

DSC03725.jpg


8時間の待ち合わせ時間。午後9時55分にデリー国際空港を飛び立った。

あばよ、インド。サヨナラ、海と大地。 さらばじゃ、インドの友よ、わははのおばさんよ。

誰もRay次郎をとめるんじゃねえぜ。

DSC03724.jpg


3月15日(日)朝8時30分に成田空港に着いた。

DSC03726.jpg


まずは朝食、うどんが美味い。

DSC03727.jpg


成田から大宮まで高速バス、大宮から高崎線で鴻巣まで乗り継いだ。

鴻巣駅で藤崎が待っていてくれた。藤崎の軽自動車に乗って水上温泉へ。

DSC03729.jpg

温泉につかりインドでため込んだ垢を落とし、キレがいつまでも衰えないビールを飲んだ。

日本の料理を日本酒を飲みながらいただき、気のおけない友人と日本語でだべった。

いやああ、、、いいもんだ、日本。




94歳の親切な僧侶、あんたもかいな

3月13日(金) カンチープラム

「興味深い彫刻」がある8世紀に造られた寺院。

土色でもなく彩色ギンギラでもない真っ白なゴープラム。

DSC03654.jpg


門を抜けるとすぐお堂。

階段を上がったお堂の入口で入館料30Rs、カメラ持ち込み料50Rsを払う。

DSC03655.jpg

料金係りの隣にいたおじいちゃんが

「カムカム、ノーマネー、カムカム」と手招き。

DSC03658.jpg


「私はここの寺院の僧侶です」 歳を聞いたら94歳になるという。

ボッタクリはないだろうと付いていく。

DSC03656.jpg


お堂の中の石柱に施された彫刻の説明から。

背伸びしてキスする女性、「この背伸びが良い」とは94歳の弁。

DSC03673.jpg


6人の女性のからみ。

DSC03679.jpg

このへんのポーズは分かりやすい。

DSC03669.jpg

DSC03676.jpg


DSC03665.jpg



神に召された女性。

DSC03680.jpg

まさにこの髪型をした女性をテルバンナマライで見た。

ラグーのオートバイに乗っているとき、

「あの女性を見て!!あれは神に召された女性だよ」

ある時突然に髪が伸びはじめ、2週間ほどでこんな髪型になるという。

この髪型になった女性は神に仕えることしかしてはいけない。

ひたすら神に仕え、お祈りする。


結婚していれば、旦那さんのめんどうはもちろん、家事もしない。

旦那とHなんかとんでもない。旦那さんもそれで満足するという。

グノーと見た女性と同じ髪型をした女性とは、それ以降お目にかかっていなかったが、

最後になって姿を現すとは、、、。




お堂の階段を下りて、建物の基礎部になっている壁の彫刻を見る。

この時さすが94歳、足が弱っていて、Ray次郎の手を借りなければ下りられなかった。

でもここからおじいちゃんの精力的な解説が始まる。

DSC03687.jpg


「女性が男性の物をくわえている」

えっ、いきなり、そこから!?


DSC03670.jpg


これは「スタンデイング ジョイント」

DSC03671.jpg



「シーテイング ジョイント」

DSC03682.jpg


「右と左に男性、真ん中に横になった女性がいる」

アダルトビデオみたいになってきた。

DSC03684.jpg

これは出産シーン、指の先に赤ちゃんが顔を出している。

DSC03685.jpg

左右に女性をはべらせ、後ろ向きの女性とジョイント。

DSC03686.jpg



ごくごく真面目に彫刻のシーンを解説してくれた94歳の僧侶。

DSC03688.jpg

これまで額に横線で3本、赤白の粉を入れているのを見てきたが、こちらは縦線。

聞いたら宗派の違いらしい。

「顔の写真を撮りなさい」と自らモデルに。

そして最後に「マネー!」

ノーマネーじゃなかったの? さっきのガイドと同じ300Rsを渡そうとしたら、

「500Rs!!」

地蔵と僧侶には敵わない。あげました500Rs。

でも寺院の外で待っていたマニ君には

「中で親切なお坊さんにガイドしてもらった。ただだったよ」と言った。


ガイドと僧侶はグルカイナ?

3月13日(金) チェンナイ

明日はチェンナイから帰国の途につく。今日はインド最後の観光。

朝8時、マニ君のトクトクに乗って出発した。

「80キロ先にある大きな村へ行きましょう。寺院とかいっぱいあるし」

行先の地名は分からないが、2時間かけて道路を走る。

DSC03694.jpg


チェンナイ郊外には工業団地が広がっていた。

サムソン、ノキア、光洋ステアリングなどの工場が見えた。

DSC03699.jpg


DSC03700.jpg


大きな村に着いたようだが、駅の名前を見て気が付いた。

カンチープラム??「マニ君、ここは前に来たことがあるよ」

DSC03692.jpg

東々先生たちとタクシーで一緒に来た町ではないか。

あの時は夕方ホテルについて、翌日1か所だけ寺院を見学、

町中の市場と展示会を覗いた町だ。

最初に向かったのは、その行ったことのあるシヴァ寺院。

DSC03622.jpg

60メートルの巨大なゴープラムと樹齢3,500年たつといわれるマンゴーの木で有名だ。

この木の下でシヴァとカーマクシ女神が結婚をしたという神聖な場所。

ガイドブックに

「寺院内にガイドを自称する人がいるが、料金が高いので値段交渉が必要」とある。

寺院の外でサンダルを脱いでいたら、早速つかまりました、自称ガイド。

値段を聞いたら500Rs、それは高い。交渉して300Rsにしてもらい中に入る。

DSC03630.jpg

寺院内の回廊、ここは前にも写真に撮ってある。

DSC03615.jpg


回廊の中にある祠では写真を撮ることはできなかった。

DSC03624.jpg


今回ガイドと一緒に入ったら、写真OK。

DSC03617.jpg

四方鏡に囲まれていたが、鏡を開けると結婚式に参加した神々が祀られていた。

DSC03616.jpg

結婚したシヴァとカーマクシ女神の像も写真OK。

ガイドにうながされて自分の写真も撮らされる。

DSC03621.jpg

この後僧侶から「Donation!(寄付)」と言われ、10Rs紙幣を置いた。

「No,No 500Rs!」 、、、えっ500Rs? これまでは10Rsでも十分だった。

また寺院内には寄付するためのポストが置かれてあるというのに。

ガイドと僧侶がグルになって、外人客相手に小遣い稼ぎか??

結局500Rsを渡した。



寺院から出て、マニ君に「寺院のなかで800Rsも取られたよ」と報告すると、

「警察へいきましょう。寺院のなかではそんなにお金を取られるのはおかしいですよ」

DSC03631.jpg

まあまあ、いいじゃないか。お金は巡り巡ってインドの人たちに回るのだから。



マニ君、別なヒンディー教寺院へ連れていく。

レンガを積んでいるのは、赤ちゃんを授けてもらうため。

DSC03635.jpg



鍵をくくってあるのは、家の建設がうまくいくようにお願いするため。

DSC03639.jpg

木にハンカチや象を乗せた台は、やはり子宝のお願いやそのお礼。

DSC03640.jpg

マニ君のガイドの方が庶民的で分かりやすい。

DSC03642.jpg

寺院で飼われている象2匹。

DSC03636.jpg


DSC03637.jpg

こちらの象は寄付の受付係。

DSC03643.jpg

10Rs紙幣を寄付して、鼻でなでなでしてもらった。

DSC03644.jpg



次に向かったのは8世紀頃に造られたトラヴィタ様式の寺院。

もこみち村で見た世界遺産の海岸寺院を原型にしたとされる。


DSC03645.jpg



DSC03649.jpg


DSC03651.jpg


DSC03652.jpg



建立した当時の王のシンボルはライオン。無数のライオンが回廊に浮彫りされている。

シンボルのシンボルがこれ。オスライオンだよなあ。

オス、オス、オス、オス、、、、、、、、。


DSC03650.jpg



えっ、メス??

DSC03653.jpg

違います。よく見てください。

宦官志望のオスライオンでした。


ライオンにサヨナラし、同じく8世紀のトラヴィタ様式の寺院へ。

「寺院内部の壁面いっぱいに刻まれた彫刻はヒンドゥー教の神話だけでなく、

当時の人々の暮らしをしのばせるものがあり興味深い」とガイドブックにある。

興味深い彫刻がはたして見られたかどうか、次回に記事にゆずります。


保、新矢そして尾崎の事

3月13日(金) チェンナイにて

あらかじめお断りしておきます。

この記事にはすべて実名が出ますので、名前が出た方、あらかじめご容赦を。


串田保とは亀田中学校の1年次に同級生になった。

やんちゃ坊主で、笑わせ上手だった。キツネのような目をした細身の少年。

Ray次郎は今でこそ借りてきた猫のようにおとなしいが、

保と同じく、やんちゃで気が合った。

毎朝、通学時にRay次郎がまず実の家へ行く。

実の家は左官屋、自宅のわきに作業小屋と道具置き場があった。

彼は三男坊で歳の離れた兄貴は左官屋を継いでいた。

二人で保の家へ行き、三人そろって高下駄を鳴らしながら中学校へ行った。

保の両親はふたりで衣服の行商人をしていた。

保とは悪い事も一緒になってやった。町の映画館の裏口の鉄条網をくぐって忍び込み、

石原裕次郎や小林旭の映画をただで観させてもらった。

北山の裏手にある畑で西瓜をくすねた。


彼は新潟市内の商業高校へ入り、Ray次郎は進学校の新潟高校に入ったので、

高校時代は付き合いが遠ざかっていた。

保は高校卒業後、新潟市内の呉服屋「嶋屋」に勤めた。

Ray次郎が大学1年の夏に帰省した時、家に保がひょっこり顔を出して

「ドライブに行こう」と誘ってきた。もう夜もかなり更けていた時間だったと思う。

彼は月賦で買った中古のサニーにRay次郎を乗せて、国道49号線に向かった。

阿賀野川とほぼ平行して走る会津若松への道路。川の蛇行に合わせて道も蛇行している。

その道を猛スピードで走る。道路の照明も暗く、ガードにぶつかれば、すぐ川に落ちる。

今思えばかなり危険な運転だった。


彼は30代で独立し、自宅に「串田呉服店」の看板を掲げた。

そして40代で癌で亡くなった。早すぎる死だった。






山田新矢とは高校時代にラグビー部で一緒だった。

身長は155センチくらい、小太りして丸顔、人懐っこい笑顔をみせる高校生。

ラグビー部の同期のなかでもけっこう足が速く、ハーフのポジションについた。

スクラムへボールを入れ、うしろで受けるとバックスへ送球する攻撃の起点のポジション。

Ray次郎はそのハーフから最初にボールを受けるスタンドオフ。

ラグビー用語ではハーフ団と呼ばれる。

新矢は上の学年がいなくなってキャプテンになった。Ray次郎は副キャプテン。

練習でも試合でも檄を飛ばして怖い顔をするが、

普段は冗談好きで、いつも笑顔が絶えなかった。だからキャプテンに選ばれたのだろう。


新矢は大学卒業後、家業の塗料店に入り、50代で社長になっていた。

10年ほど前、新矢の呼びかけで久しぶりに同期のラグビー部の連中で飲んだ。

新矢はいつもの笑顔で人をなごませ、終始ご機嫌だった。みんなで多いに盛り上がった。

翌年の年賀状に喉頭がんの手術をして、今は順調に回復していると書いてあった。

あの集まりは手術前に新矢がやっておきたいとことだったんだと、納得した。



それから2年くらいして電話があり、今度は声帯を取り除く手術をすると連絡があった。

次に会った時には喉に穴が開いていて、筆談で話をした。

近所のおばちゃん連中を引き連れて山菜採りをしたとか、

商売が苦しくて倉庫を手放したとか、そんな話をした覚えがある。

筆談で話をしたのは声帯切除の手術後の半年間で3~4回。

そして新矢は60を目前にして亡くなった。

いい奴だった。今でもあの人懐っこい笑顔が目に浮かぶ。






尾崎邦明

彼とは新潟高校の3学年で初めて同級生になった。

色白い顔をして、運動音痴。ときどき皮肉なジョークを言うくらいで、

話上手なわけでもなく、会話の中心にいることはなかった。

Ray次郎はラグビー部、尾崎は生物部か何かの帰宅部だった。

だから彼とは高校時代の接点は少ない。


安田講堂事件で東大の入試試験が取りやめになった年に、

尾崎は早稲田の文学部に現役入学した。Ray次郎はすべて落ち、あえなく浪人。

Ray次郎が翌年、早稲田の商学部に入学すると、1年後輩ではあるが尾崎とは御学友になった。

Ray次郎が大学3年、尾崎が4年になった春に、いきさつは忘れたが、

尾崎がRay次郎のアパートに引っ越してきた。

都電の面影橋から徒歩10分、大学へは歩いて行ける。4畳半で流しは付いているが、風呂なし、

廊下に共同便所があるアパートだった。2階の4部屋のうち一つ部屋を挟んで2年間一緒に住んだ。

引っ越す前からだったとは思うが、性格は違うが、けっこう気があって仲は良かった。

尾崎がRay次郎の部屋に来る時は麻雀のメンツが足りない時、

Ray次郎が尾崎の部屋へ行く時は金を借りにいくか、

挽きたてのコーヒーを飲ませてもらう時。



Ray次郎は大学4年で卒業してアパートを出た。尾崎は留年したが、やはりアパートを出た。

高校時代の友達・藤崎が鴻巣に一戸建て住宅を購入して住んでいた。

そこへ尾崎は転がり込んだ。

尾崎の後釜でアパートに入ったのはラグビー部・後輩の田宮。

田宮は早稲田の理工学部、のちに新潟県庁で土木部長になった男だ。


藤崎は同じ高校3年次の同級生。頭が良くて一ツ橋を受験したが、

東大のあおりを受けて不合格。上智大学の文学部・露西亜語学科に入学した。

和楽部に入部し琴を奏でていたが、ロシア語よりそっちに目覚め、芸大に入りなおした。

尾崎が転がり込んだ時、藤崎はおそらく芸大生だったと思うが、

彼が鴻巣に自宅を構えていた謎も含め、今は覚えていない。


とにかく尾崎は大学7年か8年で卒業するまで、鴻巣で藤崎と一緒に暮らしていた。

彼は就職先にNHKを希望していたが叶わず、鴻巣から地元新潟に戻った。

そして親類が経営している会計事務所に勤めた。


Ray次郎の姥ケ山の自宅に1回だけ遊びに来たことがある。

ワインをぶら下げてきて、ペロッと飲んで帰った。

毎年の年賀状の代わりに、年末に手紙が届く。文学部卒だけあって文章は上手いが

少しくどいところもあって正直、感心できなかった。


ど近眼なくせにメガネをかけず、おそらく10m先は霞状態だったと思う。

社会人になってからは酒の量が増えたのだろう、

町中で50代の尾崎の姿を目にした時、かなり太っていた。

猫背で脇目もふらずに、せかせかと歩ていた。



尾崎は60を過ぎてすぐ亡くなった。両親はすでになく、独身の彼は一人暮らし。

友達のだれに通知されることもなく葬儀が執り行われた。

尾崎の数少ない友達の一人がたまたま地元紙で「おくやみ」欄を読んで、

尾崎邦明の名前を見つけた。

後から聞いた話では肝臓が弱っていて、それが原因だったようだ。

誰にみとられたわけでなく、自宅の部屋で孤独死であった。



尾崎の初盆の前にRay次郎は尾崎の友人たちに手紙を書いた。

「尾崎の供養をしないと、喉仏に小魚の骨がささったままで、落ち着きません。

、、、、8月某日、西区▲▲▲寺にお集まりください。

その後古町の割烹△△△で1周忌の法事を行いますので、

そちらの参加のみでもオーケーです。、、、、」

こんな内容だったと記憶している。


集まりには悟、栗、野上、見田、有司、稲田、関根、種田など地元の同級生組と、

鴻巣から藤崎も駆けつけてくれた。



記憶だけで書いているので彼らのことはいくつか間違えていると思う。

しかし彼らの顔は今でもはっきりと思い出すことができる。



チェンナイよ、四度(よたび)

3月11日(水) コーチン

朝から部屋でゴロゴロしていた。

なにしろ水のような代物が1時間おきくらいに出て、部屋にいるしかなかった。

夕方になって腹が落ち着いた。

起きだして浜辺へ行き、今日最初で最後の食べ物を口にした。

DSC03548.jpg

またダイエットのモデルになってしまった。

帰ると決まったら里ごころが出てきた。

卵とじのお粥か、ほうれん草入りの温かいうどん食いてええ~~~。



3月12日(木) コーチンからチェンナイへ

朝7時、予約したタクシーに乗ってコーチン空港へ。

空港内で野菜サンドとコーヒーで朝食をとる。

DSC03603.jpg

午前9時50分、飛行機に乗り込んだ。

DSC03604.jpg

飛行機はいったん南下して、テイルバンドラム空港で停まり、

そこから北上しチェンナイ空港へ向かった。

DSC03605.jpg


午後12時10分

チェンナイ空港では、昨日電話でお願いしてあったのでマニ君が迎えてくれた。

最初にインドに着いた地、チェンナイ。ヒジの手術で2度めのチェンナイ、

もこみち村で静養したのちに訪れて3度目、今度で4度目になる。

マニ君とはすっかりお馴染みさんになった。


DSC03607.jpg

駐禁対策で今度は甥っ子が駆り出されていた。

DSC03609.jpg


まずはホテル探し。

東々先生たちと部屋で夕食を一緒にさせてもらったホテルが気にいっていたので、

パークプラザホテルで部屋空きを聞いてみた、OK。



次に国際宅配便。マニ君に聞いたらDHLがあるらしい。

ホテルで帰国するまで不要なものを取り出し、

マニ君に預けてあった本と一緒にDHLで発送した。重量5キロ。

自宅に着くのは1週間後。


最後にチケットの変更。

エアーインデアのオフィスへ行き、フライトの変更をお願いした。

空いていたのは3月14日(土)、まあ予定通り。成田には15日(土)朝に着く。



あっ、それから禁煙の話。

3月33日まで待っていたら、日本に着いた後になるので、3月10日から禁煙してます。

今のところ3日は続いております。


カターカリ劇場の悲劇、正露丸は帰国準備に入ります

3月10日(火) コーチン

カターカリの舞踏劇を観てホテルに帰る。

ルームサービスで頼んだ魚料理はマグロのケーララ風味の料理。

美味しかったが、ソースが気になった。

ケーララの風味はRay次郎に合わないみたいだ。



食べた後に魚にかけられたソースの臭いが残り、いやな感じ。

これから24時間、この臭いに悩まされました。

胃の中から臭いが湧き上がってきてたまりません。

魚が悪いのか、ソースの原料が腐っていたのか分かりませんが、

下痢のしっぱなし。始めて飲んだ正露丸は効きませんでした。

トイレで水を流す度にソースと正露丸の臭いが混ざって鼻をつきます。



しかも、最悪なことに、

一昨日から痛み出した4本目の上の歯と一緒に、

今度はその下にある銀で冠した歯も痛み出した。

歯科大からもらった頓服は昨日飲み終えたので、

チェンナイの外科手術の際にもらった痛み止めを飲んだ。



グラグラしている上の歯1本だけなら、Indian Beautyのお尻をわざと触って、

「この痴漢ヤロー!」と

左の頬を思いっきり平手打ちしてもらえば、抜歯できそうなのだが、

下の歯はグラグラしていなくて痛むので、これはお尻ぐらいの報復では済みそうにない。

やはり、歯科大の女先生に優しく注射してもらって、処置してもらうのが一番だ。

歯の痛みに加え、正露丸が負けたことで気持ちが萎えました。


そこで、突然ですが、これから帰国に向けて準備に入ります。


野生動物保護区、IT都市バンガロール、世界遺産の町ハンピ、

そして最後はゴアに行き、そこで帰国準備に入る予定でした。

日本に帰るのは4月中旬ころかな?と自分の中では予定を立てていたのですが、

残念ですが全てキャンセルして、早ければ来週には帰国することになりそうです。



歯の痛みと、最後は現地の美味しいはずのソースに正露丸が負けました。




予定としては、

ここコーチンで短期滞在し、終わったらここから一気にチェンナイへ飛行機で飛びます。

マニ君に会い携帯を渡したり、最後の観光をしたり、重い荷物を国際宅配便で出したり、

エアーインデアへ行き、帰りのチケットの変更をしたりします。

チェンナイ⇒デリー⇒成田と、来た時と逆の順で乗り継いで帰国します。


コーチンの見どころ② カターカリの女形(おやま)

3月9日(月) コーチン 午後3時半

佐理無ドライバーにカターカリを上演する劇場まで送ってもらって別れた。


カターカリは17世紀に誕生したケーララ州の古典芸能。

江戸時代の歌舞伎のようなものか?男性ばかりで劇を演じると、解説にある。


まずは劇に登場する役者のメイキャップを公開してくれる。

DSC03549.jpg


DSC03552.jpg


DSC03551.jpg


長い時間をかけて、塗り重ねる。

DSC03555.jpg

曼荼羅色の顔をこちらに向けたら、

DSC03560.jpg

ロシアンビューテイと顔合わせ。

DSC03557.jpg


DSC03559.jpg



六時、係りの人にうながされて、劇場へ移動。指定席に座る。

DSC03562.jpg


最初は民族舞踊。

DSC03564.jpg


これは正月にマハーバリプラムで観たダンスショーと同じだった。

DSC03570.jpg



いよいよカターカリの舞踏劇が始まった。

主役は女形。後ろの鐘鳴らしと、

DSC03572.jpg

舞台の袖で太鼓を打つ音楽に合わせ、

DSC03576.jpg

顔の表情を変え、喜怒哀楽を表現する。


「媚」

DSC03577.jpg

「悲しみ」

DSC03578.jpg

「傲慢」

DSC03580.jpg

「疑い」

DSC03579.jpg

「驚き」

DSC03582.jpg

日の出、日没、海、花園から蜂まで、すべてパントマイムで表現する。

英語の説明の声が入るが、要らないくらいに良く理解できるパフォーマンス。



女形と表現したが、歌舞伎のそれとはちょっと違う気がする。

どちらかと言えば、浅草ロックでエノケンや柳家金語楼がおばさんの役をやっているか、

東八郎、南伸介、そう古くなければ、欽ちゃんや、志村ケンが演じている雰囲気がある。

DSC03583.jpg


英語で「Wellcome!!」の声が流れると、欽ちゃんが手招き、

DSC03584.jpg

韓国人の観光客が舞台にあげられた。

DSC03585.jpg



舞台が暗転して、ライブの民謡が流れ、先ほど顔に化粧をされていた役者が登場。

DSC03587.jpg

どうやら藩王のようだ。後ろの鐘打ちが唄を歌っている。

DSC03586.jpg

藩王は気持ちを大袈裟に顔には現さず、眉や長く伸びた爪、手を使って表現する。

DSC03588.jpg

一方、欽ちゃんの方は先ほど練習した甲斐あってか、顔の表現が豊かだ。

DSC03591.jpg

藩王と娘の恋の綱引きがあるが、

DSC03593.jpg


DSC03589.jpg


DSC03594.jpg


最後は四谷怪談ではないが、藩王は若い娘になびいて、

欽ちゃんを大刀で殺してしまうという悲劇に終わった。

女形の欽ちゃんはその瞬間でもなぜか笑顔を浮かべ、シェクスピアの悲劇のようだった。



午後7時、ホテルに帰り、シャワーを浴びてからルームサービスを頼む。

夕方に見たチャイニーズ・フィッシュ・ネットで捕れた魚料理を頼んだ。

Ray次郎のカターカリ劇場の悲喜劇がここから始まった。


コーチンの見どころ① 香辛料市場とフィッシングネット

3月9日(月) コーチン午後3時

近くの海を見ておこうとホテルを出た。

待ちかまえていたようにトクトクに声をかけられた。「市内観光、1時間50Rs!!」

町の様子をざっと見ておくのも良いかと、乗ることにした。

まず案内されたのがヒンズー教の寺院と、

DSC03496.jpg

その向かいにある沐浴場。

DSC03495.jpg

ヒンズー教徒しか入れない。ガイドブックには記載なし。

DSC03497.jpg


次に向かったのが香辛料倉庫と市場。

DSC03498.jpg

右側の倉庫では生姜を選り分けていた。

DSC03499.jpg


左側の倉庫の

DSC03500.jpg

黒光りする手すりにつかまりながら、2階に上がると、

DSC03502.jpg

香辛料市場と書いた看板が。

DSC03501.jpg

香辛料が入った麻袋と、

DSC03511.jpg

真空パックされた香辛料やお茶、豆お菓子などが置いてあった。

DSC03503.jpg

地元の人も来るのだろうが、どちらかといえば外人専用の市場だった。

DSC03505.jpg

DSC03508.jpg


この香辛料倉庫と市場についてはガイドブックに説明はなかったが、

こんな豆情報が載っていた。

「(前略) ユダヤ人は数度にわたって南インドにやってきた。古代ローマ帝国に滅ぼされた

紀元1世紀ころからインド各地に到達し、コーチンにユダヤ人町を形成した。

(中略) 16世紀には、スペインで迫害を受けイベリア半島を脱出したユダヤ人が

南インドにやってきた。彼らは香辛料貿易を一手に引き受け、その富で、、、(後略)」


もちろんユダヤ人だけが貿易をおこなっていたわけではない。

古くはフェニキア人、古代ローマ人、アラブ商人たち、16世紀以降にはポルトガルやオランダ、

それにイギリスが長く統治し、コーチンを拠点にして広く貿易をおこなってきた。



なので、ポルトガル統治時代に建てられた教会とか、

DSC03512.jpg

オランダ統治時代に建てられた藩王の王宮が残っている。

DSC03516.jpg



最後にホテルからは10分ほど歩けば着く海岸に出た。

DSC03517.jpg


DSC03518.jpg

ここで有名なのが“チャイニーズ・フィッシング・ネット”

DSC03521.jpg


てこの原理を利用して魚網を海中に沈めたり、引き揚げたりする魚法で、

マカオのポルトガル人によって伝えられたとされる。

上の写真で、人が立っている左側がネット(力点)、歩く先に支点の大木がある。

DSC03522.jpg


上の写真は、向こう側にあるネットが海中に沈んでいる状態。

これを作用点側からロープを引いて力を加えると、

DSC03525.jpg

ネットは海中から顔を出し、

DSC03519.jpg

ネットがちょうど良い高さになるおもりを吊るし、

DSC03530.jpg

ネットから魚を捕る。

DSC03527.jpg


力点側に人が上ることによって、ネットが海中に沈められる。

DSC03532.jpg


DSC03533.jpg


DSC03534.jpg



DSC03524.jpg

捕れた魚はネット前の通りで売られていて、そこで買った魚やエビを

向かいの食堂に持っていくと有料で料理してくれる。

DSC03536.jpg


DSC03537.jpg


DSC03538.jpg



フィッシングネットを見学している間、トクトクの運ちゃんは公園の前で待っていた。

Ray次郎の好物・ライムソーダを買って、一緒に飲む。

DSC03541.jpg



最初に「1時間、50Rs!!」と言って乗ったのだから、

人力車の武藤君のように泣き落としで料金が上がることはあるまい。


名前はサリーム、漢字では「佐理無」と書くと教えてあげた。

「砂里無」、No Sand Homeと説明して教えてあげれば良かったかな。

DSC03513.jpg


50Rsの料金はここまでらしかったが、5時から始まるカターカリのダンスショーを

観たいと言ったら、サービスで劇場まで連れていってくれた。

これがライムソーダの効用。

次はカターカリの女形が登場します。


アレッピーのおじさんにお別れを

3月9日(月) アレッピーからコーチンへ

 バックウオーターの町アレッピー、最後の日。

朝の日課はスノーピークのカップを持って下のレストランへ行き

コーヒー2杯分をカップに入れてもらうよう頼む。

それから通りへ出て、いつもの店から小ぶりなバナナを3本買う、5Rs。

100Rsしか持ち合わせがなかった、店にも小銭がない。

毎朝顔を合わせている店のおじさん、「いらない、いらない」とサービス。



こちらも毎日2回通っているジューススタンドのリハデーおじさん、65歳。

DSC03493.jpg

昨日の午後に来た時、釣りの小銭がなくて、ライムソーダ1杯15Rsを掛で飲ませてくれた。

今日は、これからここアレッピーを離れてコーチンへ向かうので、

今朝の分も合わせて30Rsを払う。


最後の記念に写真を撮ったら、おじさん、唐辛子を手にし、店の客が頭に手を置いた。


DSC03494.jpg



リハデーおじさんに聞いた。

「どのくらいこの店をやってるの?」 「親父の代から数えると60年」

「若いころから手伝ってたんですか?」 「若いころは海外で出稼ぎしてた。

18年、サウジアラビアのバーレーンで船外機の修理をしてたよ」

ヤマハやスズキ、ベアリングメーカーのSKFやNSKの名前が出てきた。

18年も海外で仕事をしていただけあって、訛りはきついが、会話は流暢だ。

Ray次郎の方が語彙が少ないし、彼の話の7割くらいしかついていけない。


海外での出稼ぎ生活を18年とは、、、12億のインド人は多様な生き方をしている。


家族は息子と娘が一人づつ。孫は3人いる。

最後に握手したら、「Enjoy your trip!!」



ホテルに戻り荷物をまとめた。午後12時にタクシーを頼んである。

コーチンまで約70㌔。前にカンチープラムから一人でタクシーに乗り、

チェンナイに向かった時が確か75㌔で1,200Rsだったので、

今回の2,000Rsは法外だが、相場は観光地の有名度によるのだろう。



午後1時にコーチン市内に入り、一つ目の橋で島に入り、二つ目の橋で島を抜け、

DSC03598.jpg

フォートコーチンと呼ばれる半島の先端地区に着いた。


午後1時半、ガイドブックにあった“フォートヘリテッジ”というホテルに入った。

12部屋しかないが、全室にバスタブが置いてある高級ホテル、1泊4,000Rs。


DSC03544.jpg


ゆっくりお風呂を楽しめたが、とんでもない目にもあったホテル。

DSC03547.jpg










ハネムーンボート、カラスと Indian Beauty第4号

3月7日(土)、8日(日) アレッピー

朝11時半、ATDCの係りの人が、バイクに乗ってホテルへ向かいに来た。

RAMADAホテルからかなり先まで走って、ハネムーンボートが停泊している場所まで来た。


DSC03297.jpg

11時45分、出航。

ピンクのシャツを着ているのがバイクのテデッシュ君。

DSC03306.jpg

ボートに乗るとすぐジュースとフルーツバスケットが出てきた。

DSC03299.jpg


DSC03298.jpg

クルーの真野さん(マノー)と、

DSC03302.jpg

コックの佐秀さん(サシュー)。

DSC03381.jpg

船外機はヤマハさん、9.9馬力。

この馬力で大きなボートを駆るので、速度は自転車でゆっくり行くくらいの速度だ。

DSC03488.jpg


DSC03305.jpg


DSC03308.jpg

湖への入口、運河は出航するボートで押し合いへし合いの混雑状態。

DSC03322.jpg

真野さんは舵を巧みに駆る。イスの右側にはほかのボートに合図を送るホーンのスイッチと

佐秀さんに船外機の馬力の調整をお願いする時に知らせるヒモがある。


DSC03314.jpg

広い湖に出て、ボートは散らばった。

DSC03324.jpg


DSC03327.jpg

陽ざしが強いので、日よけ傘。

DSC03325.jpg


DSC03329.jpg

キッチンの佐秀さん、

DSC03357.jpg


DSC03356.jpg


DSC03358.jpg


ベッドルームに、

DSC03359.jpg


トイレに、

DSC03360.jpg

シャワー。

DSC03361.jpg

真野さんに聞いたら、ここの汚水はバイオタブレットが入ったタンクに送られ、

到着後に処理場へ運ばれる。

料理のために使った水はそのまま湖に流す。



ベッドルームから正面のリビングへ続く通路。

DSC03362.jpg


出航してから30分ほどして、岸辺にボートを停めた。

DSC03373.jpg


岸辺に座るおじさんとおばさん。

DSC03372.jpg


DSC03365.jpg

田んぼでは、稲刈りの真っ最中。

稲刈機ではなく、小麦を刈るコンバインのような農耕機。

DSC03367.jpg


コンバインが届かない稲をカマで刈ったり、

DSC03389.jpg

稲わらの始末をしているようだ。

DSC03410.jpg

停泊しているボートに入り込んで来たカラス。

DSC03387.jpg

フルーツバスケットからブドウを失敬していった。

DSC03388.jpg


ランチが運ばれてきた。赤ワインはRay次郎の持ち込み。

ビールも持ち込んであり、佐秀さんに頼んでアイスボックスに保管してもらっている。

DSC03382.jpg

白米と小麦粉を揚げたせんべい。副食に3種類の付け合わせと、

DSC03383.jpg

湖で捕れた魚。

DSC03385.jpg



食事中に何回もカラスが来て、ブドウをかすめていくので、

バスケットをうしろのキッチンに持って行った。

そのわずかのスキにカラスは昼食のせんべいをいただいて行ったようだ。

DSC03391.jpg

たしかにせんべいが1枚足りない。

DSC03392.jpg

満足顔のカラス。

DSC03393.jpg



魚屋さんに寄るから、今晩の夕食用に調達してはどうかと言われ、寄ってもらう。

DSC03331.jpg


DSC03341.jpg


DSC03340.jpg

大振りな魚ばっかりだったので、エビを選んで、

DSC03333.jpg

2尾買った。

DSC03334.jpg

1尾、250Rs.

DSC03336.jpg



DSC03342.jpg

稲刈りに仕事に向かう女性。十分な日よけ対策をし、カマを持っている。

DSC03346.jpg


DSC03348.jpg


DSC03351.jpg


DSC03352.jpg


DSC03354.jpg



ランチの後の歯磨き、これをしないとすぐ歯が痛みだすところまで来ている。

DSC03398.jpg

湖上を渡る風に吹かれながら藤沢周平「竹光始末」を読む。

DSC03408.jpg


寝そべっていたベッドに陽が当たり暑い。真野さんは帽子をかぶった。

DSC03423.jpg

ベッドルームへ移動する。

DSC03413.jpg


DSC03417.jpg

ランチで飲んだワインのおかげで眠くなり、昼寝。

DSC03418.jpg


DSC03421.jpg


DSC03424.jpg


DSC03427.jpg


DSC03428.jpg

昼寝から覚め、リビングへ行くと佐秀さんがコーヒーを出してくれた。

DSC03429.jpg


DSC03430.jpg


DSC03431.jpg



午後6時、村中にある停泊所にボートを停めた。

デナータイムを7時半に指定して、岸辺の道を歩く。

定期船の停留所。

DSC03438.jpg


DSC03441.jpg


DSC03440.jpg

目を村中にうつすと、

DSC03442.jpg

家々はひっそりしていた。

DSC03443.jpg


DSC03445.jpg


DSC03446.jpg

「フォト!フォト!」と声をかけられ、子供たちを撮る。

DSC03450.jpg


DSC03451.jpg

子供たちと一緒にいたおねえさん。

DSC03452.jpg


「この子たちはあなたの兄妹ですか?」 「いえ、甥っ子と姪っ子です」

DSC03453.jpg

3歳と1歳の子供ががいるお母さんでした。

DSC03454.jpg

旦那さんは製薬会社にお勤めで、彼が帰るまでに魚を釣って夕食のおかずにするとか。


これが釣り上げた小魚、熱帯魚のようだ。フライにしていただく。

DSC03455.jpg

彼女と少しの時間、話をした。

DSC03461.jpg


DSC03464.jpg


甥っこが1歳の赤ちゃんを連れてきて、お話終了。

DSC03470.jpg

彼女は「Take care of your Trip!」と言って、赤ちゃんを抱いて家に向かった。

話をさせてもらったので、Indian Beauty第4号に認定しました。




DSC03471.jpg


DSC03472.jpg



午後7時半、デナータイム。

魚屋さんで買ったエビと、

DSC03476.jpg

チキンカレー。佐秀さんに頼んで辛みを押さえてもらっている。

DSC03477.jpg

ケーララ料理の野菜の炒めもの。

DSC03478.jpg

白米と保温器の中にはチャパテイ。ナンに似ているが、ナンより少し固め。

DSC03479.jpg




エアコンのきいたベッドルームで一夜を過ごし、童貞を喪失した。

朝7時にふたりがボートに戻ってきた。村中に定宿があるらしい。

デナーの後ベッドルームに移動したので、その後彼らがボートを降りたのに気が付かなかった、

そういえば、彼らが寝泊りする部屋はなかった。



佐秀さんから朝食にあれこれ料理の名前を並べられたが、

DSC03480.jpg

ベジオムレットとコーヒーだけにしてもらった。

DSC03481.jpg



8時、朝食がすんで、終了時間の9時までボートを走らせる。

DSC03485.jpg


DSC03484.jpg

昨日乗り込んだ停留所に着いた。

DSC03486.jpg

真野さんがロープをくくりつけボートを固定。

DSC03487.jpg

ちょうど9時にボートを降りた。

ありがとうございました。ゆっくり、まったり、充分に満足したハネムーンでした。



実はガイドブックを事前に読んでいたとき、このハネムーンボートに乗ることが、

Ray次郎の旅のハイライトの一つになると考えていました。

6,000Rsは高かったけど、お金に代えられない経験をさせてもらいました。

そんなわけで、今回の記事が写真の数も記事の長さも、

ブログの中で最大のものになりました。

ハネムーンにお付き合いいただき、ありがとうございました。





ハネムーンボートを予約

3月6日(金) アレッピー

夕方、ATDCの事務所へ行き、ハネムーンボートを予約した。

料金は6,000Rs、コックさんとクルーが各1名付いて、世話してくれる。

明日正午発、翌朝9時に停泊所に戻るツアー。予約金2,000Rsを払う。

明日11時半に係りの人がホテルに迎えに来てくれる。



事務所を出てハウスボートを見ておこうと、湖に向かう。

運河沿いにLake Palace Resortの広告看板があったので写す。

湖に面した側だけでなく後ろ側にも戸建ての部屋があり、プールまであった。

DSC03257.jpg


ネルー杯ボートレースを観戦する観客席。

DSC03258.jpg

ネルー首相の銅像。

DSC03259.jpg


停泊するハウスボート。

DSC03262.jpg

なにしろ1,000隻以上あるハウスボートだから、

どこまで歩けば、最後のボートにたどりつくのか想像もつかない。

歩いた範囲内でのいくつかをお見せします。

DSC03263.jpg


DSC03264.jpg


DSC03265.jpg


DSC03266.jpg


DSC03267.jpg

運河沿いの路で戻り始め、

DSC03268.jpg

DSC03269.jpg


RAMADAホテルの前に出た。立派な構え。

DSC03270.jpg



町中でエンジンの修理さんを見つけた。

DSC03271.jpg

これだけボートがあるのだから、もっと大がかりの工場もあるはずだが、

きっと郊外にあるのだろう。

DSC03272.jpg

ここは一人職人の修理やさん。去年まで、こんな作業をすぐ身近で毎日見ていた。

DSC03273.jpg


明日はハネムーン、今夜は、Ray次郎の童貞最後の夜。



アレッーピーの裏町歩き

3月5日(木) アレッピー

夕方、いつもの町歩きに出た。

アレッピーは「バンバナード湖とアラビア海にはさまれた町」

今日はアラビア海へ向かう。縦横にはしる運河が目印になって位置が分かりやすい。

ボートが停泊している運河と並行して海に向かう運河についた。

ここは一面の草の運河になっていた。

DSC03231.jpg

運河沿いの通りを歩いていたら、象さん。

DSC03232.jpg

ココナッツの葉を大量に鼻に抱えこんで、チャラチャラと音をさせながら歩いている。

DSC03233.jpg

象さんは4本の足に太い鎖をまかれている。だから、歩くたびにチャラチャラ。

DSC03234.jpg

オレンジ色のスカートをはいている人が、鎖の先につないであるロープを握って

ゆっくり後から連いてくる。万が一の場合の安全策なのだろう。

DSC03235.jpg



運河の向こう岸の階段でチェスをしている人たち。

DSC03236.jpg


DSC03237.jpg


今度はこちら側の岸でゲームをしている人たちを見つけた。

DSC03238.jpg

階段を下りて近くで観戦させてもらう。

DSC03239.jpg

4人で競う双六ゲーム。ゲームを見ていた野次馬に聞いたら、

真ん中のゴールに最初に到達した人が、賭け金の100Rsx3人分を独り占めできるらしい。

DSC03241.jpg

フィルムケースにサイコロを入れて、振ってから地面に投げ出す。

1から3までは目の分だけ後退、4、5は現状位置、6が出ると前進の権利を得、

次に振ったサイコロの目の数だけ前進できる。

20分見せてもらってそこまで分かった。


海岸線と並行して走る線路を越えると、

DSC03242.jpg

向こう側は広場になっていて、

DSC03243.jpg

5~8チームが広場のあちこちでクリケットをしていた。

DSC03246.jpg

ピッチャーはバッターの後ろに立っている3本のポールめがけてボールを投げる。

たいていはワンバンドでデッドボールになる球をあえて投げている。

バッターが目指すポールの前で待ち構えているから、これは仕方ない。

だから正式な試合ではバッターはアメフトのようなヘルメットに

厚いグローブとすね当てをしている。


バッターが空振りしてボールがポールに当たれば、アウト。

打ち込んでもフライになって、守備側が直接捕ればこれもアウト。

フライでもある境界を超えるとホームラン。この辺までは野球と同じだ。

ヒットしてゴロになると、バッターはピッチャーのいる位置まで

バットをもったままで走りこむ。この時守備側がゴロを拾ってピッチャーの位置にある

3本のポールにボールを投げて当てるか、捕ったボールを持って走り、

バッターがたどり着く前にポールにタッチできれば、バッターはアウトになる。

バッターはそれらの危険があるときは走り出さなくとも良い。

走るのはボールが野手の間を抜けた時だけ。


正式な試合ではピッチャーの位置に、攻撃側の別のバッターが待機しており、

ホーム側のバッターがゴロを打って走りだした時、同時に走り出し、ホームを目指す。

攻撃側はこのピッチャーサイドとホームサイドを何回往復できたかを得点にしている。

また正式なグランドは中央にピッチャーとバッターの位置があり、

守備側は360度守っている。つまり野球で言うと、バッター位置から前面に

レフト、センター、ライトがあり、後ろ側にも同じレフト、センター、ライトがあることになる。

選手の数はお互い11人、守備側はバッターアウトを取るとピッチャーを交代する。

全員がピッチャー兼野手。球数は60球までで、そこまで投げ切ると攻守交代する。

調べたわけではなく、その場で遊んでいる人に聞いたり、TV観戦して覚えたので

間違えているかもしれない。

とにかくインドはクリケットに熱狂し、町でもTVでもクリケット一色。



広場の先にはきれいな浜辺が広がっていた。

DSC03247.jpg

ラクダさんもどこかの国の砂漠から遊びにきていて、夕陽が沈むのを見ていた。

DSC03248.jpg


DSC03249.jpg


DSC03250.jpg

夕陽が完全に沈んだ午後6時40分、トクトクに乗ってホテルに戻った。

アレッピー、広い湖のボートツアー

3月4日(水) アレッピー

朝10時にATDCの事務所へ行き、残金の700Rsを払って、ガイドさんがくるのを待った。

ガイドさんが来て船着き場まで案内された。

昨日のボートより大きめのボートに乗って出発。

ガイドさんが一人、ドライバーさんが一人で、乗客はRay次郎のみ。

客室は両サイドがベンチになっていて、真ん中にテーブルとチェアーが1組。

昨日のボートは小さな船外機だったが、このボートの運転室には

小ぶりの内燃機が設置されている。

DSC03119.jpg

運河へ続く潮路を後ろに見て、

DSC03121.jpg

湖の入口でハウスボート。

DSC03123.jpg


DSC03126.jpg



ボートの前で魚釣りをする人。

DSC03128.jpg

岸辺では洗濯や食器を洗う女性。

この類の写真がいっぱいでてきますが、ボートが進む順番で撮っているので、

説明なしで読み進んでください。

DSC03127.jpg


DSC03130.jpg


DSC03129.jpg


岸辺の向こうには田んぼが広がっていました。

DSC03135.jpg


DSC03131.jpg


DSC03142.jpg


DSC03136.jpg


DSC03141.jpg


DSC03147.jpg


DSC03148.jpg

幅が大分広がってきました。ボートの前側と、

DSC03152.jpg

後ろ側を撮る。

DSC03151.jpg

砂利を運ぶ運搬船。

DSC03149.jpg

1時間が経過したところで、岸辺につけて休憩。

DSC03153.jpg

ココナッツジュース売り場と売店がありました。

3月3日から禁煙していたRay次郎、早くもここで挫折。

タバコの1本買いをした。

DSC03154.jpg

店の前にイーグル。

DSC03157.jpg

ガイドさん、手にのせようとするが失敗。

DSC03158.jpg


DSC03163.jpg

売店の隣にアーユルベーダを行う店。

DSC03161.jpg

中を見せてもらう。

DSC03160.jpg

料金は行う内容によって変わるが、1,000Rsから3,000Rsまで。

DSC03159.jpg

アーユルベーダの庭でドスン、ドスンと音がした。

広げたテントにマンゴの実を落としていた。

DSC03166.jpg


DSC03168.jpg


DSC03169.jpg

ガイドさん採れたてをこんなに購入した。

DSC03170.jpg


DSC03171.jpg


DSC03174.jpg

新聞を読むドライバー。

DSC03179.jpg

売店のオーナーさん。漁師もしていて、売店にも魚を置いていた。

DSC03180.jpg

DSC03178.jpg

DSC03177.jpg

はて、オーナーさんはドライバーさんの顔に瓜ふたつ。

「息子さんですか?」、「そうそう」

「息子さんはあなたの顔をコピーしたようですね」

どうやらコピーが通じないようだ。町のコピー屋さんの看板を思い出して、

ゼロックスに置き換えたら、笑ってくれた。




再出発、湖の一番広いところに出たようだ。

DSC03182.jpg

まるで海。

DSC03183.jpg

Ray次郎はずっと部屋には入らないで、ここにいる。

DSC03189.jpg

目の前の運転室、ガイドさんがドライバーと話をしている。

DSC03184.jpg


DSC03192.jpg

ドライバーさんがさっき買ったマンゴを切って渡してくれた。

まだ硬くて甘味がない。

DSC03195.jpg


岸辺の村々を結ぶ定期船ボートの停留所、500メートルおきくらいにある。

DSC03194.jpg


DSC03196.jpg


DSC03198.jpg


DSC03199.jpg

村中へ入り込む水路にかかる橋。

DSC03197.jpg

突然雨が降り出したが、10分もしないうちに止んだ。

DSC03202.jpg

大きいリゾートホテルの前に出た。

DSC03219.jpg


DSC03214.jpg

全てコンドミニマム形式で独立した戸建て。

料金は1泊、15,000Rs。

DSC03108.jpg

Lake Palace Resort。この町で一番高いホテル。

DSC03107.jpg

2番目に高いのがアメリカのホテルチェーン、RAMADA HOTEL。料金は8,000Rs。


ガイドさんが「ラマダホテル」と発音したのを聞いて思い出した。

10年以上前に組立係長のT君とアメリカに出張したとき、

デトロイトでRAMADA HOTELに泊まった。タクシーに乗って行先を「ラマダホテル」と

告げたが通じない。何回も「ラマダ」を連発した。

運ちゃん、終いには分かったようで、「ルウマダ ホテルのことか?」

インドでも日本でもRAMADAは「ラマダ」と発音するが、「R」の英語の発音は

「ウ」に近い「ル」になる。舌の先端をうわあごの上につけたままで「ル」と発音すると

この音に聞こえる。



DSC03110.jpg

ホテルを囲む浮き防波堤には鳥たち。

DSC03109.jpg


ホテルを後にすると、すぐ運河に入って、3時間のボートツアーは終了した。

DSC03222.jpg

マンゴとガイドのお礼にチップを100Rs渡して、彼らと別れた。





「閑話休題」、さてその意味は?

アレッピーでの本筋から外れて、無駄話を記事にしようかと、

記事のタイトルを「閑話休題」に決めた。

つまり、「これまで本筋のアレッピーの話でしたが、ここで閑話休題、無駄話に入ります」

という具合に使う。ところが、これが大間違い。意味を間違って覚えていました。

広辞苑によれば、「話を本筋に戻すときに用いる語、無駄話はさておいて。それはさておき。」

ということは、「これまで無駄話をしていましたが、ここで閑話休題、

本筋のアレッピーの話に戻します」 これが正しい使い方。

しかし、もう遅い。記事のタイトルは「閑話休題」だが、本筋には戻らず、無駄話に入ります。



ブログ読者の方から非公開のコメントが届きました。

インドで体験してほしい要望事項が列挙されていました。



「インド大陸で高い山の登山、ガンジス川をトクトクボートで横断、

安全なキャンプ場で交流てなのはいかが?。

社会派では路上生活者、児童少年少女売春、牛との共同生活。

カースト、特に仏教は最低カーストの逃込み寺になっていると聞く、

ネール社会主義思想はその辺に残っているの?

堅すぎるかな、町のB級グルメはどう?一般家庭宿泊はどう?

BARでの居酒屋放浪記はいいね、面白い。」

期待していただくのはありがたいが、これでは身が持たない。

今のところは丁重にお断りするスタンスで旅を続けます。




出発前に抜いた3本の歯のとなりがグラグラし始めたので、歯医者のDr.ITさんに

アドバイスを求めた。Dr.ITさんから非公開のコメントが届いたので、ここで公開。

「グラグラの程度がどの程度によるかですが、大臼歯が無いために小臼歯に

相当負担がかかっているのが原因だとおもいます。

歯ぐきが腫れたり、噛んだ時に痛いようであれば、抜歯の対象になります。

話のネタにインドの歯医者さんに診てもらったらどうですか!

ぜひ、 怪しげな歯医者へ行ってみてください。帰国後話を聞きたいですから」

みなさん、放浪記に多いに期待しているのが分かった。いや遊ばれているだけかな?





そろそろ帰国も視野に入ってきた旅の後半戦。

日本に帰ればタバコは吸わないつもりなので、覚えの良い3月3日に禁煙を始めた。

今日は3月6日、今、タバコを咥えてパソコンを打っている。3日続かなかった。

次に3が並ぶ覚えの良い日は3月33日。この日から禁煙を始めよう。




SOTAのビデオが16本になった。

出国する前には前歯の上2本、下2本だけだったのが

前歯が上4本、下4本、それに奥歯が生えて上2本、下が2本。

あと4本生えれば乳歯完了というところまできていた。

Ray次郎のグラグラ歯とのこの差は何だ!!


食事の後、仰向けに寝かされ、NAWOの両足で両手を押さえつけられていた。

その態勢で、歯ブラシをあてられ、思いっきり泣いていたSOTA。

もう自分で歯ブラシを持ってゴシゴシしていた。


幼児チェアーにおさまって見ていたNHKの幼児番組。

今はしっかり立って、音楽に合わせて手をあげたり、拍手したり、おじぎしたり。


孫の成長は遠くで見ていると尚のこと目立つ。





やはり気になるのか、会社の資料を時々送ってもらっている。

脳の中で培ってきた知識や理解、記憶をつかさどる側頭葉の

会社の部分が大分退化していた。資料の読み込みが難しい。

2か月ちょっとでこんなにあんぽんたんになったのかと唖然とした。




前の地、コバーラムビーチのホテルでは部屋にTVがなかった。

ここアレッピーでは液晶TVが備えてある。チャンネル数は無数にあった。


よく観ているのはCNNニュースとハリウッド映画。映画は下に英語の字幕が出る。

たいていは前に観ている映画なので筋は覚えている。

英語の字幕をほうほうの体で追っかけて読んでいるが、追いつかない。

それでもなんとか楽しめて観ている。


日本のアニメは現地語に吹き替えされて放映されている。

ドラえもん、忍者はっとり君、アンパンマンなどがこちらの人気番組のようだ。


さて本来の閑話休題。次はアレッピーの湖上ボートツアーに続きます。


ライムソーダにCoca-Cola

アレッピーのジューススタンド

バナナを買う店もジュースを飲む店も同じ店に行くようにしている。

顔を覚えてもらえるし、なにか良いことも起きそうだから。

この町でジュースを飲んだ最初の店。

DSC03223.jpg

ライムソーダが甘味と炭酸がきいて美味しい。朝と午後に1回づつ通って飲んでいる。

コップにライムを絞り、塩をくわえてから、

冷蔵庫から冷えた炭酸ソーダを取り出してコップに注ぐ。氷を入れなくとも冷たい。

でも待ってよ。Coca-Colaが炭酸ソーダを出していたっけ?

DSC03252.jpg

冷蔵庫から出した炭酸ソーダの栓を開けていたし、ちゃんと泡も出ている。

よく見たら、口元にサビが。

DSC03254.jpg

回収したCoca-Colaのビンに炭酸ソーダを入れて売るメーカーがあるらしい。



今日はオクラがテーブルに載っているのに気が付いた。

さっそく試しに飲んでみることにした。


まずはコップを手洗い、

DSC03224.jpg

次に塩を少々加え、

DSC03225.jpg

オクラと生姜を混ぜた材料をコップに入れる。

DSC03226.jpg

冷蔵庫に入れてあったミルクセーキを最後に注ぎ、

DSC03227.jpg

よくかき回して、

DSC03229.jpg

生姜入りオクラのミルクセーキの出来上がり。

DSC03230.jpg

冷たくて、塩がきいていて、生姜の辛みがあるスッキリ味。

オクラの味はしなかった。


「東洋のヴェニス」、アレッピーの初日

3月3日(火) アレッピーの初日

アレッピーについてガイドブックの紹介、

「ベンバナード湖とアラビア海にはさまれた町。縦横に走る運河と緑のヤシの木、

白い砂浜が造りだす美しい町だ。この光景に魅せられたインド総督のカーゾン卿は、

アレッピーを“東洋のヴェニス”と呼んだという」




夕方、アレッピー観光公団(ATDC)が開設しているインフォメーションセンターへ行く。

DSC03066.jpg

明日のボートを予約した。ボートの大きさを選び、時間は3時間を指定。

料金は1,200Rs、時間あたり400Rs。公的機関の料金なので、これが適正な相場と考えて良い。

DSC03065.jpg

予約金として500Rsを払う。明日の10時にこの事務所に来て残金を払う。

DSC03068.jpg

運河沿いには小ぶりのボートしか停泊していない。

湖まで行けばハウスボートが見られるはずだ。



ハウスボートとは、

かって米やスパイスを運搬した素朴な木造船を、寝泊りできるように改造したボートで、

ベッドルームやバスルーム、テラス、キッチン、トイレなどが完備されている。

クルーはドライバー二人に、コックが一人付き、昼のランチ、夜のデナーには

ケーララ料理が出され、そのまま湖の中で停泊、翌朝に帰船する。

謂わば、湖上で自分専用のホテルに泊まった気分を楽しめる。

別名、ハネムーンボートとも呼ばれている。





運河沿いを歩いていたらボートのおっちゃんに声をかけられた。

「ボートツアーはどう?1時間500Rs」、さっき予約したATDCの相場より高い。

無視していると、おっちゃんも一緒に歩き出し、「400、、、、300Rs、、」と下げてきた。

相場より安くなったし、湖に出てハウスボートを見ておくのも悪くないと思い、乗ることにした。



ハネムーンボートではあるまいし、ダブルベッドがど~ん。

DSC03070.jpg


こんなところで、いちゃいちゃされたら運ちゃんはたまったものではない。

DSC03071.jpg

Ray次郎にはいちゃいちゃする相手がいないので、運転席の隣のイスに座った。

おっちゃんの名前を聞いたが、漢字にできない名前はすぐ忘れてしまう。

DSC03081.jpg


広い湖に出た。ハウスボートが停泊していた。その数1,000隻以上。

DSC03075.jpg


DSC03076.jpg

団体客用の超大型のハウスボート、

DSC03077.jpg

8人くらいは泊まれそうな大型ボート、

DSC03089.jpg

4,5人用の中型ボート。おっちゃんにきいたらワンルームベッドからあるらしい。

お一人様の場合で料金は6~7,000Rs。

DSC03090.jpg




DSC03082.jpg

片道30分なので、広い湖の先までは行けない。

それでも入り組んだ湖沿いにある村々での人々の暮らしぶりを垣間見れたし、

DSC03099.jpg


DSC03100.jpg


DSC03097.jpg


DSC03098.jpg



野鳥の姿も目にできた。

DSC03084.jpg


DSC03085.jpg


DSC03093.jpg

DSC03094.jpg


このボートは岸沿いにある村々に住む人たちを運ぶ定期船。

岸沿いの道は狭くて、トクトクも走れない。

通勤、通学の客、買い物帰りの女性客を乗せて満杯になっていた。

DSC03095.jpg


こちらのボートはレース用。選手が120人も乗って櫂を漕ぐ。

毎年8月に行われるネルー杯ボートレースには20隻以上が出て競いあう。

1位のチームには1,200,000Rsが賞金として渡される。ひとりあたり10,000Rs。

DSC03102.jpg


今日は4人乗りの競技ボートしか目にできなかったが、

DSC03111.jpg

DSC03114.jpg

ネルー杯ボートレースは壮大なる見ものに違いない。



あっと言う間に1時間が過ぎようとしていた。

ボートは運河へ続く潮路に戻ってきた。

DSC03115.jpg

明日は3時間のボートツアー。



コバーラムからアレッピーまで

3月2日(月)

コバーラムビーチのホテルを後にして、バスでテイルバンドラムの駅へ行く。

当日のコーリカット行き急行、スリーピングクラスのキップ(120Rs)を買い、ホームへ。

列車はこの1番ホームに3時に着くらしい。

DSC03032.jpg

ホームで政治団体のデモ、インドは5月まで世界最大の選挙期間中、

町中でも政治家のポスターがべたべたと貼ってある。

DSC03031.jpg



ホームで待っていた人がぞろぞろと移動し始めた。

聞いたら4番ホームに変わったということだったので、こちらも移動。

3時に着くはずの列車は3時40分に到着した。




スリーピングクラスのデッキに荷物を置き、

DSC03033.jpg

ここに腰掛けた。

DSC03051.jpg

チェンナイから寝台車に乗った時と同じで、列車の入口には予約者の名前と指定席を

書いた紙が貼ってあった。当日買いのキップは当然紙には書いていない。

後で検札に来た車掌に聞いたら、空いている席があればどこでも良かったらしい。

でも写真を撮るにはこの席がちょうど良い。




走れ、走れ、インデイアントレイン。

DSC03055.jpg


家々を、

DSC03038.jpg


稲刈りが終わった田んぼを、

DSC03052.jpg



耕し終えた畑を、

DSC03053.jpg


入江や、

DSC03037.jpg


川を越えて走る。

DSC03054.jpg

小さな駅は急行なので飛ばして、

DSC03036.jpg

ごみだらけの線路わき。

DSC03050.jpg


街並みが見え始めた踏切を越え、

DSC03045.jpg


大きなカーブを減速して走り、

DSC03046.jpg


アレッピーの小さな駅に着いた。午後5時30分。

DSC03056.jpg

アレッピー駅ではトクトクが整然と駐車していた。日本の駅前タクシーと同じ。

トクトクの先頭に事務所があった。窓口で行く先を告げ、1Rsを渡すとチケットを切ってくれる。

チケットには65Rsと印字されていた。到着したらこの金額を運ちゃんに払えば良い。

非常に明瞭な会計システムになっていた。


ガイドブックに書いたあったレビスホテルに入る。

Wi-Fi無料、エアコンが使える部屋、1泊1,400Rs。

なにせ、外の気温は30度を越えているし、なにより蚊の侵入があるまいと400Rs奮発した。

実際、ここで2泊したが昼も夜もエアコンがきいて爽快に過ごせたし、

防虫スプレーをしなくとも、蚊には襲われなかった。

旅も後半戦に入り、だんだん贅沢になってきたが、蚊にはあらがえない。




「黒の劇団」

ホテルのデッキから外を見ていたら、遊歩道に出ている二人が見えた。

こんな深夜に熊ひげはどこへ電話しているのだろう。

DSC02873.jpg


あごひげはそばで話の内容を聞いているようだ。

DSC02872.jpg



この二人とはこのビーチに着いた最初の日に会っている。


海をぼんやり見ていた二人に、

私は日本人に会った気安さで、「こんにちは」と声をかけた。

「ここらにWi-Fiが使えるホテルを知りませんか」

「俺たちが泊まってるホテルはOKだよ」と熊ひげ。

「そこいくらですか」、「10,000ルピー」、、、、予算オーバーでとても泊まれない。

「ここは長いんですか」、「いや、まだ1週間くらいかな」とあごひげ。

「あとどのくらいいるんですか」、熊ひげが「さあ、あと2,3週間かな」

気ままに長い休暇を取れて、高級ホテルに泊まっているとはリッチな青年たちだ。

どんな仕事をしてるんだろ?個人投資家、トレーダー?

何となく日本人とは話をしたくないような雰囲気があり、お互い名前も名のらないまま、

「1,000ルピーが予算なんで、自分で探してみます」と早々にその場を離れた。

重いリュックを背負ってホテルを探した、それが5日前。



私は条件に合うホテルを浜辺に面した場所に決め、連泊している。

朝になったらここを出ようと決めていたが、今はこうしてデッキから深夜の二人を見ている。




あの話は本当だろうか、、、、、、、??

昨夜バーで二人に再会し、あごひげから聞いた話。



「大分リッチな旅行をしてるけど、仕事は何をしてるんですか?」

「そちらさんは?」と熊ひげ、「今はリタイヤしてますけど、去年までは機械屋です」


かなり酒が入っている様子のあごひげが熊ひげの代わりに答えた、

「俺たちは二人とも役者の卵だよ。所属しているのは「黒の劇団」って言ってね、

俺は金をタップリ貯めこんでるばあさんの孫の役、兄貴は刑事役が多いかな」

「おい、余計なことしゃべるんじゃないぞ、あごひげ」

「かまいやしないよ、兄貴。おっさんは機械屋だし、もう会うこともないし、

俺たちの話をまわりにいるインド人が聞いてても、中身なんか知らないぜ」

「この酔っ払い野郎が、、、、」



ムッとしている熊ひげに構わず、赤ら顔のあごひげが話を続けた。



劇団の幹部からリストをもらってね、電話をかけまくって演技の練習をするんだ。

俺はばあさんの孫の役だから、

「おばあちゃん、俺だよ、オレ、オレ!!」

「ダイスケかい、どうしたんだい?電話なんか滅多にかけてこないのに。

それにいつもと声が違うみたいだけど?」

「ああ、風邪ひいて喉がガラガラなんだ。」 、実際にガラガラ声。

次に演技力が試される。泣き出しそうな声で続ける。

「そんなことより大変なことになったんだよ~~~、おばあ~~ちゃ~~ん!!」

「どうしたんだい?泣きそうな声出して」

「自動車をぶつけて、相手に大けがさせちゃったよ」

「お前は大丈夫なのかい?」

「ああ、俺は大丈夫。相手は頭を複雑骨折して、顔がつぶれて、両耳がちぎれてる」

、、、、、、、それじゃあ、もう完全に死んでる、、、、、

「おやまあ、おやまあ、それは大変だ」とおばあちゃんはオロオロ声。

「自動車で人身事故を起こすと、うちの会社うるさいんだよ」

「えっ、トヨビシ自動車はそんなにうるさいんかい?」

機転をきかして役者のアドリブ、さっそく会社の名前をセリフにいれて、

「そうなんだ、トヨビシはうるさいんだよ。この前もうちの課長が人身事故をおこして、

佐渡に島流しになったんだぜ」

「お前がそんな事になったら、嫁のピンコが悲しむよ」

「俺、今警察に来てるんだけど、事故はなかったことにしてくれそうなんだ、

交通課の人に代わるから話を聞いてよ」

ここで熊ひげがあごひげから電話を受け取って、

「あああ、ダイスケ君のおばあちゃんですか?」

「あっ、はい」

「ええ、、、私は、エヘン、湾岸警察署の交通課刑事、青島と言います」

、、、、、、、交通課に刑事なんかいたかな?、、、、、、、

「あっ、あっ そうですか。何かダイスケがとんでもないことしたようで、、、」

「そうなんです。私がダイスケ君の事故報告書を書かなきゃならないですが、

全面的に加害者、いや、ダイスケ君に非があるので、へたすると刑務所行きも覚悟しないと」

「ひええええ~~~」、ばあちゃん、命が3年も縮まったような声で叫んだ。

「おばあちゃん、幸いなことに被害者の方がこの場で示談にして、

事故はなかったことにしても良いとおっしゃってるんですよ」

「ヒッヒッヒ、それは助かります。ダイスケが会社を首になったり、

刑務所に入らなくてもすむなら、なんでもします!」、と電話の向こうでニタリとしたが、

顔は必死そのもの。

「そこです、おばあちゃん!!そこなんです、おばあちゃん!!

被害者は、あの携帯会社Badbankの重役さんで、サギさんと言う方です。

壊れた車は最高級の外車、パンツですよ。

医者のかかり、車の修理代、それに会社を休んでいる間の役員報酬を全部合わせて、

示談金として800万円もらいたいと言ってます。どうですか、おばあちゃん」

「嫁のピンコには内緒にしてますが、それくらいならすぐ準備できますから、

ぜひ刑事さんから穏便に済ますよう、話を進めてください」


「そうですか、それでは事故報告書は書きませんから、示談金を準備してください。

明日の10時に、Badbankの重役室秘書課長のモチニゲさんという方が

お宅まで取りに伺うそうです。その方に現金を渡してください。

振込みされると奥さんにばれるから、サギさんは現金を希望されています」

「ヒッヒッヒ、ほんとに助かります、刑事さん。現金で準備しますから大丈夫です。

あの、ダイスケと代わってもらっていいですか」

「ああ、おばあちゃん、助かったよ、これで首にもならないし、刑務所にもいかずに済んだ」

「いいかいダイスケ、ピンコには内緒にしておくんだよ。あの鬼嫁が知ったら

遺産相続がどうの、あとどのくらい貯めこんでるのよと、うるさいからね」

「分かったよ、おばあちゃん、母さんには内緒にしてく。

でも、ほんとに助かったよ。仕事で1週間は帰れないけど、すんだらすぐお礼にいくよ」

「そうしておくれ、ばあちゃんは独り暮らしだから、お前がきてくれるのはいつでも大歓迎だよ」

「必ず行くから待っててね」

「あいよ、あいよ、待ってるよ」 電話の向こうでおばあちゃん、安心して満足顔。



役者のギャラは決まりがあってネ、上演収入の1/4、つまり200万円というわけさ。

俺と兄貴で100万づつ山分け。

上演回数は少ないけど、けっこう収入があってね、まあ月平均400万円ってとこかな。

、、、、そんなに収入があるなら休暇も取れて、高いホテルにも泊まれると納得した、、、、、



あごひげは酒が入ると、ぺらぺらと口が軽くなるが、

昼間、レストランで見かけた時はだまって難しそうな本を読んでいたし、

DSC03017.jpg


夕方、浜辺で見かけた熊ひげは健康的なサーファーになっていた。

DSC02801.jpg


DSC02802.jpg


DSC02804.jpg


DSC02803.jpg

「黒の劇団」で役者をしている時以外は、案外どこにでもいる好青年なのかもしれない。



*************************************

ここまで書いて、私こと、新進気鋭作家の松本礼張はパソコンの手をとめた。

夜中の3時に蚊にくわれて目が覚めた。それからずっとデッキのパソコンの前にいる。

昨夜見た二人の姿からイメージして、「黒の劇団」と題した小説を書き始めが、

、、、いや、いや、まったくの駄作だ。いつもの格調高い文章になっていない。

「ヒッヒッヒ」とか「ひえ~~~」とかセリフに入れて、これではまったく筒井康隆ではないか。


朝6時になり、少し明るんできた。早出の屋台がホテルの前に出たので、

ココナッツジュースを買って飲んだ。

DSC03030.jpg


ジュースを飲んで頭がすっきりしたところで、考え直した。

こんな筒井康隆的小説はボツにして、

グリーソン出版から依頼されている「黒の放浪記」の続きを執筆するとしよう。


spoonbill のアラカルト

コバーラムビーチにあるレストラン、“spoonbill”.



夜はワンちゃんをテーブルのそばにはべらせて、

DSC03021.jpg

魚のテンプラや、

DSC02870.jpg

オムライスにツナサラダを食べた。

DSC02910.jpg



昼もワンちゃんをはべらせて、

DSC02883.jpg


コーヒーを飲みながらブログのアップ。

DSC02890.jpg

こいつらははべらなくとも良いのだが、店で飼っているらしく大量にやって来る。

ミルクは全部をコーヒーに注ぐので、後はこの始末でもかまわないが、

コーヒーはこいつらが遊んだあとでも仕方なく飲む。

DSC02884.jpg

手にも顔にも、パソコンにもぶんぶんとうるさい。「五月蠅い」とはよく当て字したものだ。

DSC02889.jpg



夜の店に来たお客さん、アメリカ人女性と東洋人女性の二人連れ。

持参のお箸で食べていた。

DSC02916.jpg

給仕をするヒロコさん、日本語を話していたのでお箸の人はアメリカの日系人か。

DSC02913.jpg



ヒロコさん、バイトをしない日はお客になって、まったりしていた。

DSC03023.jpg



コバーラムビーチの灯台に登る

3月1日(日) コバーラムビーチ

灯台へ向かう。

DSC02964.jpg

坂の途中から浜辺を見下ろすと、町内会の運動会で綱引きをしているかたまりが見えた。

DSC02965.jpg


DSC02966.jpg



DSC02975.jpg

北側のビーチ、人の姿がこちら側にくらべると全然少ない。

DSC02968.jpg


南側に広がるビーチとホテル群。

DSC02969.jpg


ホテル群の裏手は小高い丘になっていて、ココナッツの木が密林になっている。

DSC02972.jpg

Ray次郎が泊まっているORIONホテル。

DSC02973.jpg


灯台を降り、浜辺で水につかる。

DSC02981.jpg

ビーチの境にある見晴台から隣のハワービーチを眺めた。

DSC02983.jpg

明日はここのビーチにおさらばする。

こんなに長い間海辺で過ごしたのは人生初めてではないかなあ。

フルーツ売りのリンリおばさん


3月1日(日) コバーラムビーチ

ホテルの前の遊歩道に朝10時ころになるとフルーツ売りのおばさんが店を開く。

DSC02936.jpg

ホテルの廊下のデッキでブログをアップしていると、おばさんの姿が毎日目についた。

DSC02937.jpg


DSC02948.jpg

英語がしゃべれて、きさくなおばさん、

「あんたいつまでいるんだい?あたしゃ毎日ここからあんたを見てたよ」

こっちも見ていたが、そっちからも見られていた。

ホテルの看板の右がRay次郎が座っていたテーブル席。

DSC02942.jpg

売り物はマンゴ、パパイヤ、バナナに西瓜。

DSC02951.jpg


西瓜とマンゴを切ってもらった。

DSC02945.jpg

「おばさんの名前は?」、「あたしの名前はリンリ」

「スペルは?」、「No writing 」 字は書けない。

「では英語はどこで習ったの?」、「子供から教えてもらったよ」

「Big family」だそうで、自分たち夫婦に二人の子供夫婦、それに孫4人が同居している。

DSC02950.jpg

おばさん、「Slowly eating,Slowly eating 」

でも、食べきれなかったので、デッキに持ち帰り時間をかけて食べた。

DSC02947.jpg

商売繁盛で結構外人客が足をとめてくれる。

DSC02952.jpg


DSC02954.jpg


御多分にもれず、ここのフルーツは町中に比べると数段高い。

外人相手のレストランの料金と同じだ。

乾季だけの商売で雨季には店を出さない。





浜辺のアラカルト

コバーラムビーチ


朝、魚売りのおばさんがレストランに魚を届けに。

DSC02880.jpg


DSC02878.jpg

こちらでは、

DSC02919.jpg


DSC02920.jpg

捕りたての魚をセリにかけていました。

DSC02923.jpg


DSC02922.jpg


DSC02926.jpg


DSC02928.jpg


DSC02927.jpg


DSC02929.jpg

浜辺でも、レストランでもワンちゃんが多いコバーラムビーチ。

DSC02933.jpg


DSC02984.jpg


男性同士が手をつないでいる光景は珍しくありません。

町中でもどこでもよく目にしました。

DSC02979.jpg


浜辺の遊歩道から一歩中に入ると、

DSC02857.jpg

人がすれ違いできる程度の道幅の小路が、迷路のようにつながっていて、

DSC02854.jpg

小路が突当っているように見える道も、右に曲がったり、左に曲がったり、

DSC02855.jpg

あるところではホテルの中に入ってしまったり、

DSC02858.jpg

亀田の地元の人はご存知と思うが、まるで袋津の迷路です。



浜辺でヨガの実演をしている人がいました。

DSC03008.jpg


DSC03004.jpg


DSC03003.jpg



夜の遊歩道。

DSC02900.jpg


DSC02901.jpg


こじゃれたレストランの店先にならぶ魚、

DSC02905.jpg

シーフード料理をうりにしているレストラン。

外人相手の料金で、決して安くありません。

DSC02907.jpg

1,000ルピー以上の料金なので、まだspoonbillのおさかなテンプラのほうが安い。

DSC02906.jpg

浜辺の風景のアラカルトでした。

浜辺の運動会


町内会の集まりのようです。

浜辺で運動会をしていました。

DSC03009.jpg

DSC03012.jpg

DSC03013.jpg

DSC03010.jpg

DSC02958.jpg

DSC02962.jpg

DSC02963.jpg





コバーラムビーチのビューテイー

コバーラムビーチのビューテイーのみなさん。ほんの一部です。

説明は不要ですよね。

DSC02960.jpg


DSC02931.jpg


DSC02875.jpg


DSC02956.jpg


DSC02934.jpg


DSC02874.jpg


DSC02856.jpg


DSC02845.jpg


DSC02848.jpg


DSC02842.jpg

狸の仕立て屋さん

2月25日(水) コバーラムビーチ 夜8時半

話はコバーラムビーチに着いた夜に戻る。

寝酒のウイスキーと防虫スプレーが切れていたので買い出しに出た。

spoonbillを出てビーチの入口まで歩く。

ビーチは遊歩道だけで、バイクはおろか一切車は入ってこれない。

入口でトクトクの運ちゃんをつかまえた。

運ちゃんが坂上に停めてある車を入口まで持ってくるまで、少し待った。

待つ間、顔が黒くて狸顔の仕立て屋のおじさんに声をかけられた。

「どこまで行くの?」、「町のリカーショップまで」

「そりゃ大変だ、そこは9時に閉まるから早くいかなきゃ。帰りにうちの店の水買っててよ」、

「うんうん」と生返事。


トクトクに乗ってリカーショップに着いた。

DSC02894.jpg

1階はビール売り場

DSC02895.jpg

2階がウイスキー売り場

DSC02896.jpg

並んでいたらもう9時になりそうだ。

DSC02897.jpg

店主が後ろでシャッターを閉めた。これ以上客を入れないためだった。

こちらはすべり込みセ~~フ。

シャッターの前の廊下で並んでいた人は今夜は諦めてもらうしかない。


ウイスキーを買い終え、帰りの途中で防虫スプレーも買い、

狸の仕立て屋さんには寄らずにホテルに戻った。




翌26日(金)午後、現金を降ろしにATMがあるビーチの入口まで行った。

昨夜の狸さんが外に出ていて、声をかけられた。

DSC02853.jpg


「昨日寄らなかったね、待ってたのに」、「ごめん、忘れてた」

「インドの服、どう?明日の午後にはできてるよ」

なんか約束を破ったような気持ちになり、後ろめたさで仕立てを頼む事にした。

コットン生地を選んでから採寸する。

DSC02814.jpg


DSC02816.jpg


DSC02819.jpg


DSC02820.jpg



翌日の午後シャツを取りに行った。狸さんはいなかった。

DSC02852.jpg

代わりに長身のキツネさんが仕上げの途中だった。

DSC02851.jpg


DSC02850.jpg

出来上がったコットンシャツ、350ルピー。ムムッ?あれこれ採寸する必要があったのか?

でも、れっきとしたオーダーメイド。




夕べの散歩 浜辺の風景

2月26日(木) コバーラムビーチ 

夕べの散歩に出かける。

DSC02759.jpg

陽はかなり傾き始めていた。

DSC02758.jpg

この手の舟はもう使われなくなったのか、浜辺に放置されていた。

DSC02766.jpg

郷土史「亀田の歴史」の中で記載されていた、

江戸末期から大正頃まで、栗ノ木川に就航していた鮟鱇舟に似ている。

DSC02767.jpg


鮟鱇舟が往来した栗ノ木は昭和30年始めの頃に暗渠化され、今は県道になっている。

Ray次郎は当時小学校の低学年くらいだったので、この川の事は覚えていない。

小学校の高学年だった従妹は、亀田の船着き場から舟に乗り、

新潟の万代橋のたもとまで行き、毎年のように夏の花火を見に行った事を覚えていた。


「亀田の歴史」は今チェンナイのマニ君の家にあり、詳しくは語れないが、

我が郷土、亀田郷は信濃川、阿賀野川、小阿賀野川、それに日本海とにはさまれた

島のような土地だ。それに海抜はゼロメートル、それゆえ昔から悪水には悩まされ続け、

腰まで水につかりながら田植や稲刈りをする写真が残っている。

栗ノ木川排水機場や鳥屋野潟は、悪水との戦いで重要な役割を果たしてきた。

この亀田郷の歴史をはじめ、古代、中世、近世、近代と続く郷土史は

事象の名残が身近にあるだけに面白い。

これからも勉強を続けて町歩きのガイドになろうと考えている。



それは良い。散歩を続けましょう。

Ray次郎が泊まっているホテル前のビーチは

南側に灯台がある岩場を端にしているので「Light House Beach」

DSC02770.jpg


ここから北へ向かって歩くと見晴らし台を境に、

DSC02768.jpg


DSC02769.jpg

ハワービーチに出る。このビーチには浜辺に面したホテルはほとんどなく、

現地の子供たちの泳ぐ姿が多い。

DSC02773.jpg

ピピッピッーピー!!笛を鳴らして赤旗をふるセイフテーガード。

DSC02772.jpg

子供たちが少しでも沖に出たりするとピー。

DSC02765.jpg


DSC02784.jpg

潮目が変わると子供たちを集団で移動させたりしている。

DSC02776.jpg


DSC02782.jpg



これは今朝買ったショートパンツとTシャツ。

DSC02788.jpg

ビーチでは登山パンツは似つかわしくないので、

水泳パンツにもなるショートパンツを300ルピー、

ついでに我が母校・都の西北大学のスクールカラー、えんじ色のTシャツを200ルピーで購入。



水際でたわむれる小さな子供、

今年の夏にはSOTAもこんなにして、新潟の浜で遊ぶ姿が見れるかもしれない。

DSC02789.jpg


DSC02790.jpg



こちらはボールとたわむれているワンちゃん。

DSC02792.jpg

ボールを蹴ると追っかける。

DSC02793.jpg

二人のインド人の間で行ったり来たり、たわむれると言うより、もてあそばれていた。

DSC02795.jpg


DSC02794.jpg

我が家のプルもこれと同じボールフェチ。

そうそうプー太郎、お前、SOTAに前足キックしただろ。NAWOのビデオで見たぞ。

SOTAはまだ子供で、口のきき方を知らないから許してあげなよ。

それにミー助。お前もやたらとSOTAの顔舐めちゃ、いかんぞ。

帰ったらいくらでもRay父ちゃんの顔なめさせてあげるから。

おとなしく寝てなさい。

DSC02799.jpg



浜辺にネットを張り、バレーボールに興じる若者たち、

DSC02796.jpg

ジャンピングアタック!!かなり上手い。

DSC02798.jpg


ホテルに戻り、シャワーを浴び、

DSC02813.jpg

今夜もまた隣のspoonbillに行った。

メニューに書いてある「MIX SALAD」と「TERIYAKI FISH」が今日の〆。

今日も元気だ、ビールが美味いっ、、、と。


“spoonbill”のヒロコさん

午後から隣のレストラン“spoonbill”へ行く。

昨晩,、店にいたヒロコさんとは片言しか話さなかった。

野菜テンプラとツナサラダをいただいて、

DSC02707.jpg


DSC02706.jpg


「おあいそ、お願いします!」と久しぶりに使った単語で声をかけたくらい。


ヒロコさんのプロフィール:

*************************************

3年前、インドに遊びに来ていた時にレストランのインド人オーナーと恋に落ちた。

親の反対を押し切り、2年前に結婚。

彼はバツイチで、前の奥さんは日本人。だから日本語は上手だ。


こちらでの結婚式は何百人も招待して盛大なものだった。

その時日本から来た親類は両親と兄と叔父夫婦だけ。

ヒロコさんの両親は彼とは日本語で会話ができたので、

彼の優しい性格を理解でき、安心して日本へ帰った。



1年前に彼を連れて帰郷。

東京で彼女の友達に集まってもらい、パーテイーを開いた。

久しぶりに会った友達から「お幸せに」と声をかけられると、自然に涙が出た。



レストランは浜辺に面した立地にあり、そこそこ外人客がきてくれる。

経営も順調なので、そろそろ両親に孫の顔を見せたいねと、

二人で相談しているところだ。


*************************************


昨晩ひねり出したRay次郎の想像力はたくましいが、

お昼に来て聞いた、彼女の実際のプロフィールは、当たり前のごとく見事にはずれていた。



昼のレストランはお客がすくなく、ヒロコさんがお相手をしてくれた。

親善大使とブログを紹介した。

DSC02754.jpg


ヒロコさんはフリーター、日本で収入を得たり、ワーキングビザで外国へ出かけては

旅を楽しんでいる。

インドではヨガのアシュラム(修道場)に4週間通った。

その後、ここコバーラムに来て、レストラン“spoonbill”でアルバイトしている。

DSC02756.jpg

アシューラムに入学する条件が学生ビザだった。

近々3か月の有効期間がきれるので、いったんスリランカへ出国する。

そこで今度はツーリストビザを取得し、再びインドへ入国し、インドの旅を続けるつもりだ。

将来はヨガの教師をしても良いと考えている。



「斎藤さんは新潟市ですか」

「ええ、今は合併されて新潟市ですが、昔は亀田のあられの亀田町です」

「私は長野なのでよく糸魚川へは行きました。

お魚が美味しいのでお寿司を食べに行くんですよ」


こちらはオーナーのウメシュさん、、、、、(もしかして苗字は長屋さん?)、

実際、前の奥さんは日本人だったので日本語がうまい。

DSC02755.jpg


こちらはアルバイトのニッサムくん、彼は片言の日本語をしゃべる。

DSC02757.jpg


そんなわけで、ここで昼はコーヒーを、夜は食事をとるために通うことになってしまった。

プロフィール

Ray次郎

Author:Ray次郎
越後生まれのRay次郎。
リタイヤを機に
あれこれと始めた
後半人生の旅の記録

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。