Ray visited kind of mother in Kyoto.
She is 89 years old,
Ray received a lot of favor from her when he was a universty student in Tokyo.
大学時代に多くの時間を過ごした場所がある。
「とんかつ石橋」だ。
ここで大学時代のクラブの仲間と時間割を作ってアルバイトをした。
クラブの名前は「名所古跡研究会」、略して「名古研」と呼んでいる。
昭和41年に設立され、昭和61年に創立20周年を迎えた。
その際、OBからの投稿を募って、「とこしえ」という記念誌が発刊された。
以下はRay次郎の1年先輩にあたる第6期・会津のケンコーさんが
寄稿した「ゆたか橋よ」という文章の一部である。
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都電の終点からすぐ先の神田川に、何の変哲もない橋がかかっている。
その名もいささか地味な「ゆたか橋」
十五年ほど昔の僕は、幾度この橋をわたり、かえってきたことだろう。
夕暮れどき、僕はよく橋の上で、ぼんやり手すりにもたれてたたずんでいたものだ。
(中略)
ゆたか橋を渡って、「ベトナムうどん」の先を左に折れると、
「とんかつ石橋」があった。
僕らの世代の名古研の仲間の多くが、ここにたむろし、青春を語り合い、
あるいは世話好きなおかみさんの有難いお説教を頂戴したものである。
Kenさん、Ganさん、Ray次郎君、それにO君など多くの仲間が、
ここで出前などのアルバイトをしていた関係で、
いつ行っても名古研の連中の誰かがおり、話相手に事欠かないうえ、
おかみさんの好意で、ただ食い、ただ飲み、ただ泊まりを随分とさせてもらった。
そのうえ、僕は卒業してからも、ずうずうしく石橋を
会津から上京した折の定宿にしていた。
僕にとって、あえて言うなら石橋は
「東京のふるさと」のようなものだった。
(後略)
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さて、その石橋のおかみさんは今89歳になり、
20年前から娘さんのチーちゃんといっしょに京都に住んでいる。
Ray次郎がおかみさんを訪ねた12月4日は、デーサービスに出かける日だった。
チーちゃんは朝、近頃とんと記憶があやしくなったおかみさんに
「今日は新潟の○○さんが来るからね。」と伝えると、
おかみさんは、「ああ、○○くんね」と「さん」づけから
昔から呼びなれていた「くん」づけに変えて応えてくれたという。
チーちゃんの話では、調子の悪い日には息子のマーちゃんも
わからなくなるおかみさんなのに、
即座に応えてびっくりしましたと、話してくれた。
チーちゃんの店「きっちん」で1時間ばかり待った後、
デーサービスの送迎車がおかみを連れて戻ってきた。
おかみさんの手を取って車から降ろすチーちゃんが
「○○さんが来てるよ。」というと
「ああ、○○くん、遠くからよく来てくれたね。」と笑顔。
やはり、きっちりと覚えていてくれた。
それから小一時間ほど家の中で、おかみさんと話した。
息子のマーちゃんの近況を同じ内容で4~5回、繰り返し聞かされた。
おかみさんに大学時代の先輩、後輩の名前を挙げて話しかけた。
すると、
「ああ、信州のKenからはお蕎麦を贈ってもらってね、、
せがれさんが食品会社につとめて、、、
Kenさんの目のほうは大丈夫かね、、、」
「九州のO君からよく電話をもらって、、、
そう、O君はもう仕事を辞めたの、、、」
「会津のケンコーさんはえらくなったね、、、、
この前来たときは顔を見せたと思ったらすぐ帰っちまって、、、」
とか、すこぶる記憶が良く、話す口調も昔のように
すこし江戸なまりで、なめらかだった。
今度いつ会えるかわからないが、元気で長生きしてほしい。
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